経済・政治・国際

2020年11月22日 (日)

北朝鮮を取り巻く情勢と拉致問題解決への道

11月19日、北朝鮮の拉致被害者であった蓮池薫氏の講演会に参加しました。(主催:柏崎地域国際化協会)

以下はその内容メモです。

201119

「北朝鮮を取り巻く情勢と拉致問題解決への道」

1.北朝鮮の現状
北朝鮮は三重苦を背負い、厳しい状況にある。

【三重苦その1:度重なる水害】

北朝鮮では治水対策がなされていない。全国的に水害が発生。
河川のすぐ近くに集合住宅が建設され、堤防がないため河川氾濫により洪水被害を受ける。
メディアには緊急復旧した地域だけを映すが、実際には「地元まかせ」のため復旧が進んでいない。
農作物も被害を受け、稲穂はやせ細り、まともな米が収穫できない。その結果、食糧難に。
住宅建設や修繕は機材を使わず人力で行うため、家屋は見た目だけ。
集合住宅の付近には電線・電柱がない。つまり電気が使えないライフラインのない住宅が並ぶ。
金正恩委員長は見栄を張っているが、実質的に洪水から国民を守り生活を改善する様子がまったく見えない。

【三重苦その2:新型コロナウイルス感染症】

北朝鮮では中国に行き来する人が多い(密輸、親戚訪問など)。
中国との国境線から1~2km以内の緩衝地帯に軍隊を派遣。
事前通告なしに人も獣に射殺すると布告。
=中国との国境を徹底的に封鎖
少し前に韓国公務員が北朝鮮訪問し射殺された。
すべては新型コロナウイルスを恐れての行為。

●具体的な新型コロナウイルス対策

発熱者は風邪だとしても20日間強制隔離し、近隣の16世帯をまるごと封鎖。
動けないよう24時間監視する。
経済活動は二の次、三の次。
20日間の隔離中、食料としてトウモロコシをひとり10㎏配給。
当然それだけでは足りず、隔離中に痩せこけてしまう。

PCR検査はピョンヤン以外は行われない。
疑わしきは「症状疑惑者」として監視する。
経済活動を封じる。

10/22~29の症状疑惑者 完全隔離174名
累積では
隔離総数 32182人
PCR検査 12072人 陽性者0人としている。

【三重苦その3:経済活動の低迷】

コロナ封鎖が住民を直撃。
国内に400~500ある「市場」では、13~16歳のコッチェビ(物乞い)が大勢いる。
失業者も多く、仕事がないため農場の肥料盗難が相次ぐ。
肥料は貨車に直接積んで運ぶ。泥棒は隙を見てそれを盗み市場で売る(仲買人→農家へ)
それもできない人は芋とビニール袋を持って山に行き、ビニール袋でテントを張り、芋を食べながら生き延びる。
売春も増えている。
労働者39世帯/69世帯 極貧状態。
孤児院を大量につくったが食べ物がなく子ども達は逃亡。

国家統制のため労働者は全員国営企業で働かせるが、コロナ禍により7割に落ちた。
給料もらえない人が66%。ただ職場に行くだけ。

金正恩委員長も失敗を認めざるを得なくなり、8月に「言い訳」
→来年1月に第8回党大会を行い、新しい戦略で国の経済を立て直すと宣言。
軍事パレードを前に感極まって泣き出す。
「努力と真心足りず生活苦しく申し訳ない。それにも関わらず私を信じてくれてありがたい」
今後、第8回党大会で方針をつくり成果を上げると宣言。

来年1月の党大会に発表される5か年計画次第で、拉致問題も大きく状況が変わる。
5か年計画に日本の存在感を刷り込めるかどうかがポイント。

以上の現状を踏まえ、政府には一環して「今」がチャンスだと伝えてきた。
拉致問題解決のためのメッセージを送るべき。
日本を北朝鮮によって重要な国として位置付ければ拉致問題解決の道は開かれる。

北朝鮮は三重苦による厳しい状況の中で、色々な国に頼らざるを得ない。
日本がそこに関われるかどうかが鍵となる。

 

2、拉致問題はいかにして起きたか。

1970年代~日本を含めて拉致開始。
金正日委員長による党実験。秘密工作部署を牛耳る(拉致組織も含む)。
日本からは政府認定17人を拉致。
秘密工作であり北朝鮮は「ばれるはずがない」と思っていた。
なぜ暴露されたか?拉致に直接関与された工作員および協力者が石川県で逮捕された。
辛光洙(シンガンス)=地村さん拉致実行犯。
よど号事件の女性も関与していることが判明。

1987年、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫の教育係が拉致された日本人であったことも判明。
(→田口八重子さん)
徐々に北朝鮮による拉致が明らかに。

1997年、日本の出版物に北朝鮮関与を疑う内容が掲載された(北朝鮮で読んだ)
ジャーナリストの石高健次氏による記事。
「北朝鮮の工作員により日本の幼い少女(双子のひとり)が拉致された」=横田めぐみさん(弟が双子)。
新潟県警が過去に13歳の少女が行方不明になった事件との結びつきに気付く。
それまでも拉致の疑いはあった。実名を出して動かそうということになり、横田さんご夫妻を中心に家族会(拉致被害者家族連絡会)が結成される。
北朝鮮は過剰に反応。福井県小浜市で開かれた小さな集会を北朝鮮労働新聞で大々的に報道。「拉致=でっちあげ」
北朝鮮の人々は記事を我々拉致被害者の目に触れさせたくなかった。新聞記事のことを隠そうとしていた。
この様子から敏感に反応していると感じた。

2002年、小泉総理が平壌(ピョンヤン)訪問
水面下での交渉で日本側から拉致被害者13名リストが渡された。
北は知らないと突っぱねているが、だんだん「調査する」に変わった。
小泉訪朝で拉致を認める。
背景には経済的困窮により日本から資金を手に入れたいとの狙いがあった。
韓国は植民地支配の補償金をもらったが、北朝鮮はもらっていない。同じように日本から補償金1兆円をもらおうとしていた。
保証金は国交正常化が条件。日本の条件が「拉致問題の解決」。
しかし北の回答は13人に対して4人生存、残りは死亡。
日本側は死亡だけでは受け入れられないと表明したが、私もこれは受け入れられないと思った。
横田めぐみさんが私達もあわせて3家族一緒に暮らしていた時期を「自殺した時期」として発表。

増元るみ子さん、市川修一さんも拉致された後に結婚したが、どちらも亡くなり、土葬されたが墓は洪水で流されたと報告。
しかし死亡したとされる時期、やはり一緒に暮らしていた。

報告では8人中6人は遺骨がなく、洪水で流されたとされたが、北朝鮮の墓は山の尾根=いちばん高いところにつくる。
私も墓を掘らされたことあるので、洪水で流されるなど考えられない。

その後、死亡の証拠として提出された遺骨は火葬されたものだった。
DNA鑑定では土葬されたものなら精度高い=DNA鑑定の精度を下げるための加工。

2004年、北朝鮮は突然、横田めぐみさんの遺骨が存在し、夫が自宅で保管していたと発表。
めぐみさんの夫は韓国の拉致被害者で一緒に暮らしたもある。
めぐみさんは1993~1994年の間に亡くなり土葬されたが、夫が妻の遺骨を手元に置くためにそれを掘り起こして火葬したと。
それはすべて嘘。そもそも北朝鮮に火葬施設はない。
夫もすぐに再婚しているので、自宅に遺骨を隠していたというのは嘘・つくり話。
DNA鑑定は、日本では火葬したものでも可能。
私も遺骨が出された経緯が作り話だと証言できる。家族が信じられないのは当然。

●なぜ拉致問題が動かなかったのか。

平壌宣言3原則は「核・ミサイル・拉致」解決すれば過去の清算を行うとの内容。
当時はアメリカとの95年枠組み合意が生きていた。
拉致問題解決さえうまく進めば国交正常化がうまく進んだが、北朝鮮が真実を隠し破綻。

その後、2006年~北朝鮮は核実験を始めた。現在までに6回行う。
ミサイルも数えきれないほど打ち出す。

拉致問題さえ解決すれば1兆円渡せるのかといえば「無理」
アメリカと北朝鮮の関係性が進まない限り、日本とだけ国交正常化できない。
米朝の動きを見守るのが日本の立ち位置。

私はトランプ大統領との会談に期待していた。
米朝非核化は実現すれば次は拉致問題に進める。
うまく交渉してほしいと願っていたが、昨年、米朝協議は破綻した。大きく失望している。

バイデン大統領になればどうなる?はっきり言って期待できない。
トランプの対・北朝鮮戦略ととバイデンはまったく違う。
バイデンは周りから固めるボトムアップタイプなので、95年枠組み合意の原則を守り、事態は1~2年動かないのが見えている。

日本はその間、米朝の動きを見守るしかないのか?とんでもない。
米朝の動きだけを見ていては、横田早紀江さん、有本さんの存命中に解決できない。

核、ミサイルを置いておき、その前に何とかできないか?
北との直接対話は今、何ができるか。拉致被害者を返してもらうために、交渉により解決の道を開くべき。

11月15日の新潟県民集会で、加藤官房長官が「現在、北朝鮮と直接交渉している」と演説。
なんとか突破口が開かれることを期待。
アメリカを通して拉致啓発の意識付けは可能だが 何とかするのは我々日本。
さらにもうひとつ、中国の力を利用すべき。
中国は日本に秋波を送っている。
これまでのように日本はアメリカ一辺倒でやっていけるのか?
北朝鮮は95%中国貿易依存、加えて密輸も。
日本は中国を利用しない手はない。

3、拉致されてからの日々

24年間の拉致生活を振り返る。
拉致の実行犯は北朝鮮の調査部=スパイ活動の中心組織。
党中央の党機関部署であり、金正日が直接牛耳っていた。

拉致の目的はスパイ活動に利用する為。
世界から若者をつれてきてスパイとして教育。
アメリカにはヨーロッパ系、アジアは日本人。

外国人スパイ利用の背景。
それまで北朝鮮の若い人間に対し、強制的にスパイ教育を行ってきた。(金正日政治軍事大学で特殊訓練)
品定めし、選抜して工作員を養成したものの、国内教育だけではうまくいかなかった。
整形しても言語等の問題で結局は失敗。
「だったら外国人を連れてきて教育すればいい。脅し、すかし、なだめれば言うことを聞く。結婚させて家族や子供を人質にとればいい。」
過去のゾルゲ事件などを通してスパイの役割に期待。

1978年6~8月 世界各国に調査部工作員が派遣された。
日本には時期をずらして潜入。
主導した工作員は全員違う。
たとえば福井の地村さんはシン・ガンスだが、柏崎の工作員はチェ・スンツル他。

1978年、ぎおん祭り花火大会の前後に戦闘員(作戦部に属する。人間サイボーグのように屈強な若者達。)が祭りの混乱に乗じて上陸。
船は日本の漁船そっくりに仕立てていた。
野宿や民宿をしながら潜伏。夕方になると中央海岸に行き、若い人達を物色。
7月末は夕方に人が多く出ている。人の目が多い時には実行できない。

拉致されたその日、家内(祐木子さん)とは喫茶店で待ち合わせをしていた。
前の日に電話で約束したので、誰もデートすることは知らなかったし、海に行くことも知らなかったはず。

歩いて市営プールと野球場の間、通称「アベック道路」=松林の土手を通り海岸に出た。
人が多いと感じた。酒を飲んでいるおじさん達もいて、いやだなと感じた。
寺泊方面に向かって土手を歩いていた。他にも何人か歩いている気配はあった。
彼らと250mほど離れていた。海岸に座って家内と話していると、波打際から男(工作員チェ・スンツル)が現れた。
実は彼は大阪生まれ。終戦後、韓国へ渡り、5年間の貧しい生活の後、朝鮮戦争で北朝鮮側についた。
終戦から3年後には対日工作員となっており、日本語は完璧。

私がたばこを吸っていると、「火を貸してくれ」と声をかけられ、ライターを貸す寸前に襲われた。
顔面を殴られ、暴れたが物陰に引きずられた。
彼らは逮捕されそうになれば自決しなければならない。彼らも必死だった。
「静かにしなさい、静かにしなさい」と片言の日本語が聞こえ、外国の人間にさらわれると思った。
何らかの信号が沖の船に送られ、ボート(日本製)が海岸につけられた。
2人とも袋詰めにされた。(後に高岡での拉致未遂事件に使われたものと同じ道具だと知った。)
ボートに乗せられ、窒息しそうになり、顔だけ出された。
野球場が遠くなっていくのが今も記憶に残る。その後、船に乗せられ、工作員から薬を飲まされ、注射された(睡眠剤)。

気付くと北朝鮮に着いていた。おそらく2晩眠っていたと思う。
清津(チョンジン)=根拠地(秘密連絡所)に上陸した。
両脇を抱えて車に乗せられ、高台のアジトに連れていかれた。
真っ暗なアジトで中年男がニコニコしながら「ようこそ。ここは北朝鮮人民共和国だ」と言われた。
ここで10日間過ごしたが、恐怖の連続だった。
「なぜこんなことをするのか」と聞いても答えは「我々は知らない。平壌に聞け。」
「彼女はどうしたんだ」と聞いても答えは「ピョンヤンに聞け。」
そのうち殴られた顔の腫れを抑えるためだと、ゆで卵を押し付けられた。

14時間、列車に乗って平壌駅に到着後、車に乗せられ山の「招待所」へ連れて行かれた。
秘密工作機関のアジトを「招待所」と呼ぶ(中国も同様)。
拉致したのは調査部であり、招待所地区は7つ。すべて山の中にあり鉄条網で囲まれている。
山の奥深いところに家が隠れるように建てられ、私が連れて行かれた所には14~15の建物があった。
ここには女性がひとりずつ配置され、工作員候補食事の世話や洗濯など、生活の面倒を見ていた。
指導員が寝食を共にしながら工作員として教育し、終了後は金正日の命令が下る。これが招待所の役割。

招待所の幹部になぜこんなことをするのか聞くと、「君を革命家にする」と言われ、恐怖を感じた。
「彼女(祐木子さん)はどうした?」と聞くと「あのあと日本に帰した。心配するな。」と言われ、もう会えないのかと思い落胆した。

工作員教育とは将来のスパイ教育で、実務よりも思想を植え付けることが中心だった。
北朝鮮の教育は金正日主席への忠誠心であり「いかなるときも秘密を守り、いざという時は自決する覚悟」
主席の美談が書かれた文章を読み、感想文を書かされる。「チュチェ思想」と呼ばれる北朝鮮の指導方針だった。
私は嫌で嫌で仕方なかった。
あるとき嫌だというと、最初はなだめられたが、嫌だと言い続けると高圧的な態度に変わり、殺されるかと思った。

めぐみさんもなだめられた。
「早く朝鮮語を覚えれば、家に帰してもらえるかもしれない」と言われ、必死に勉強したが未だに帰れない。

嫌々ながら勉強する日々が1年続いたが、ある日突然、教育が中止され、平壌から遠い場所に移された。
そこで課長(指導部の幹部)から突然「結婚するか?お前の彼女(祐木子さん)は北朝鮮にいる。」と言われた。
驚いたが、少しそんな予感(彼女も北朝鮮にいる)もあった。
即座に「結婚させてくれ。」と答えると、2~3日後に別の場所に連れて行かれ、彼女と再会した。
後に聞くと彼女も同じような対応だったという。
再会して1週間後に結婚した。
招待所の食堂で、幹部10人くらいの前で北朝鮮式での結婚式を挙げた。
監視付きで平壌市内を1周し、「革命遺跡」金日成像の前で写真撮影したのが新婚旅行だった。
それから新婚生活が始まったが「余計なことは喋るな」と言われ、常に監視付きだった。

北朝鮮での24年間のうち、3回転機があった。第一の転機が「レバノン女性拉致事件」。

なぜ私達が結婚できたのか、それは「レバノン女性拉致事件」が発端だった。
当時、レバノン人の女性5名が拉致された。
彼女たちは秘書の勉強をしていたが、「日本の商社がレバノンとの交易の為に採用したい」と騙され、平壌に連れて行かれた。
分散して北での教育が始まったが、そのうち2名はスパイの素質を見出された。本人たちも覚悟を決めたようだった。
北朝鮮ではどこにいても監視され、逃げられる気がしない。
2人はスパイ教育を受け入れたが、それは海外逃亡のチャンスを狙ってのことだった。
1年後、スパイとして海外への渡航命令が下った。
まさにチャンス到来。監視指導員をだまし、そのままレバノン大使館に逃げ込んだ。
レバノンでは水面下での交渉の末、残り3人も奪還した。

この事件により北朝鮮による拉致は世界に知れ渡った。
金正日は拉致した人間を信じられなくなり、いったん教育をストップした。
大使館に逃げ込まないように平壌から遠い場所へ移し、結婚させて逃げられないようにした。
ひとりで拉致された人も結婚させた。(曽我ひとみさんとジェンキンスさんのようなケース)

その後、工作員への日本語教育をさせられた。子供も生まれ、拒否できない状況だった。
招待所に通ってくる工作員に日本語を教えるのが役目だった。

第二の転機は1981年11月の大韓航空機爆破事件だった。

実行犯2名はバーレーンまで行ったが逃げられず、服毒自殺をはかった。
生き残った実行犯の金賢姫は、平壌外国語大学で日本語を専攻したスパイだった。
彼女の証言から教育者は子どもを置いて拉致された日本人=田口八重子さんであることが判明。
警察が田口さんの写真を見せたときに、教育者と一致した。

この事件によって、工作員への教育は中止され、その後は帰国するまで翻訳業務に専念した。

第三の転機は1990年。89年にベルリンの壁崩壊により、ソ連も変化を余儀なくされた。
ソ連は新外交政策により韓国と国交を結んだ。
韓国と対立してきた北朝鮮はソ連に裏切られたと感じ、孤立化から逃れるため日本との関係改善を図ることにした。

1990年9月に、訪朝した金丸元副総理と社会党の田辺誠委員長が、朝鮮労働党との間で、日朝国交正常化に向けた政府間交渉を促す3党共同宣言に署名した。
金正日は国交正常化に伴い過去の清算を求めたが、日本およびアメリカの反応は悪く、国交正常化会談の雲行きは怪しくなってきた。
正常化会談8回目にしてはじめて拉致問題を正式に提起したが、大韓航空機爆破の実行犯が明らかになったことを受けて会談は決裂した。

しかしこれが布石となる。
1998年に韓国の金大沖大統領がノーベル平和賞を受賞したことを機に、北朝鮮は「過去の清算=500億円」を求めて再び日本との交渉を開始。

2002年3月、北朝鮮労働党幹部から「わが党は決断した。これから日本と関係改善する為に一役買ってくれ。必要に応じて日本人に会い、幸せに暮らしているとアピールせよ。」と言われた。
北朝鮮は拉致被害者を日本に帰す気はなかった。
「拉致されたと言うな。北朝鮮の船に救われたことにしろ。」と言われた。
そのストーリーは
「モーターボートに乗っていたらエンジンが壊れ、漂流しているところを北朝鮮の船に救われた。北朝鮮の病院で治療を受け、自分から懇願して北朝鮮に残った」
というもので、日本人は信じるはずはないと言ったが、「同じ話を繰り返せば相手は信じる」と言われた。

その年の6月に平壌に引っ越した。
日本の家族が北朝鮮に来た時に会うためであり、「幸せをアピール」するためだった。

そして9月17日、小泉総理が訪朝。
その時、朝からホテルの一室にて待たされた。盗聴器が仕掛けられた部屋だった。
日本の外務省職員2名が訪れ「本人確認のために来た」と言われた。
「小学校の同級生の名前を全員書け」と言われたが、すべて覚えていたので書いた。
家の周りの風景、庭には当時どんな木があったかも絵に描いた。
帰国して両親にその絵を見せたところ「間違いない」。

外務省は事前に13名のリストを持って行き、そこで確認すればよかったのに持って来なかった。
拉致被害者が生きていると知って、リストを取りに戻った。

翌年2月28日、日本から調査団が来て、亡くなった拉致被害者8名についても我々にも聞きにくることなった、と言われた。
金正日は2日前に拉致を認めて謝罪した。ただし自分は関与していないとも。

10月に入り、「日本から家族は来ない。日本側は、まずは拉致被害者を返せと言ってきた。」と告げられた。
「日本では何も喋るな。幸せそうに見せかけ1週間で帰ってこい。」と言われた。
それまで自分の身に起こっていることに実感が沸かなかったが、日本行きの飛行機が離陸した時ようやく実感が沸いた。
飛行機に乗って上空から日本列島をはじめて見た。これが日本だと感じた。

日本に着いて飛行機から降り、テレビカメラの多さに驚いた。
そこから家族間でのバトルがはじまった。
家族は帰るなと言うが、子どもを残してきたから帰るしかない。その間、色々な話を聞いた。
そのとき、北朝鮮は弱い立場にあって慌てていると感じた。

日本政府からは残れとは言わなかったが、「日本に残るなら全力を挙げて北朝鮮の家族を取り戻す。」と言われた。
自分はもう北朝鮮に戻りたくなかった。家内は子供たちのことを思い反対したが、残ることを決断した。

それから半年たっても子どもを取り戻せず、落ち込んだ。
「帰って来れなかったらどうしよう?」と口にした時、母から叱咤された。
「たった1年くらいで何を言っているのだ。自分は24年待った」と。

そして小泉総理が2度目の訪朝。しかし帰ってきたのは自分たちの子供だけ。他の拉致被害者が帰国できず落胆した。
市役所職員から「小泉総理へのお礼はないのか、との声がある」と聞かされ、記者会見の冒頭で謝辞を述べた。

その後、まだ誰も帰って来ないことに心が痛む。例え私が北朝鮮に行っても取り戻せない。

日本政府は動いている。
北朝鮮は困難な状況にあり、プレッシャーをかけられている。

日本国民はいつまでも忘れない。
たとえ親御さんが亡くなっても絶対にあきらめないが、親御さんの存命中に帰さなかったら恨んでやる!
との姿勢を示し続けることが大切。

北朝鮮とは国交を結び、「過去の清算」はしなければならない。そうすれば解決するはず。
しかし、なかなか状況は動かないのがもどかしい。

今日ご来場の皆さんにも、拉致問題解決を求め続けていただきたい。

(以上)

柏崎日報2020.11.20記事

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新潟日報2020.11.21記事

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拉致問題の実態および核心に触れる内容の講演でした。

拉致という人権侵害・国家犯罪が、政治的事情に翻弄された挙句、交渉カードになってしまっていることが、解決に至らない要因だと感じます。

残されたご家族とご本人の為にも、また日本の威信をかけても、国民のひとりとして、また政治に携わる者として「必ず取り戻す」意思を示し続けていきたいものです。

2020年11月12日 (木)

11月12日 市長選演説

11月12日(木)西山ふるさと館での桜井市長(候補)の演説内容です。

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西山は原子力発電所に近いPAZ(原子力発電所から5km圏内)になる。

2011年3月、東日本大震災による福島原子力発電所事故を受けて、その年の3月31日、私は政治から身を引くことを決断した。

それまで日々の活動や気持ちをつづっていたブログを閉じ、その当時の想い・考えを掲載したチラシを新聞折込にして配布した。

そこには

「皮肉なことだが福島の復興・エネルギーセキュリティ(安全保障)・地球温暖化防止(CO2排出抑制)のためには当面の間、原子力発電所は必要」

「原子力安全・保安院は原子力規制庁として独立した存在にすべき」

と記載したが、今や現実化している。

4年前の市長選挙では原子力推進・反対両方の立場から声をかけられ再び政治の道に戻った。

原子力発電所は厳しい安全基準のもと限定的に稼働し、風力・太陽光などの再生可能エネルギーや水素蓄電システムなどを活用した、新たな環境・エネルギー産業の創出を目指すべきと考えている。

国(資源エネルギー庁)からはこのビジョンを全面的にバックアップすると約束していただいた。

菅政権では2050年までにカーボン・ニュートラル=CO2排出ゼロに近付ける方針を打ち出し、送電線の規制緩和も進むとみられている。

「柏崎市地域エネルギービジョン」は、国のビジョンとなりつつある。

原子力発電所は田中角栄元総理によってもたらされた大きな科学技術であり、日本の経済を支える大切なエネルギー創出機関だった。

西山では民間ベースで風力発電の話が2件、進んでいる。西山が新たなエネルギー産業発祥の地となりつつある。

毎年寄せていただいている西山の草生水(くそうず)祭りは、石油の生まれた土地であることにちなんでいる。

西山町石地出身の内藤久寛氏が創設した日本石油が、西山油田を中心に、長らく日本の石油産業をリードしてきた。

約50年前、小林治助市長は柏崎市の新たなエネルギー産業として原子力発電所の誘致を方向付け、柏崎市議会が誘致決議を出した。

それ以降、原子力発電所は大切なエネルギー創出機関としてこの地に存在し、今もなお5000人以上がサイト内で働いている。

何事にも良いところ・悪いところがある。

原発の良いところはCO2を排出しないことだが、核ごみの行先が決まっていない。また事故を起こせば大きな被害をもたらす。

しかし日本の電気は約8割が化石燃料を使う火力発電であり、CO2を出し続ける。CO2の処理もまた決まっていないため、大気の中にCO2層としてたまり、屋根のように地球を覆って熱の放出を妨げ、地球温暖化を進行させている。

この数年の猛暑や小雪は、地球温暖化による異常気象だと言えよう。

 

このような現実を考えれば、原発は当面の間、厳しい安全基準のもとで動かしながら、その一方で徐々に減らしていくべきであり、国もその流れを認めた。
第6次エネルギー基本計画にはおそらくこのことが組み込まれるであろう。

西山はコミュニティセンター(コミセン)統廃合問題で様々な議論がある。
3つにするか1つにするか、あるいは絶対に統廃合に応じないとの声もある。

「選挙の前になぜコミセン統合の話を出したのか」と言われたが、今後の柏崎・西山のためにも、今やらなければならない。

公共施設の配置計画は私が市長に就任したとき、すでに(会田市長時代に)決まっていたものを引き継いだ。

柏崎市の高齢化率は34.8%となり、西山の高齢化率は43%を超えている。
1コミセンあたりの人口も減っている。

西山のコミュニティバス「にしやま号」は町時代からの流れで続けてきたが、ひとり1回乗車するだけで2000~3000円、税金で負担している。
ナルスからふれあいクリニックまで移動するだけでも、それだけのお金がかかっている。
これをいつまでも続けるわけにはいかない。

こういうことを言うと「では年寄りはどうするんだ!免許も返納させられ足がないじゃないか!」と度々お叱りをいただくが、コミュニティ統合同様に考えなければならない問題である。

同じ柏崎市内の米山町ではオンデマンド型バスを地域で運営している。自宅前まで送迎する小型バスで、数十万円の運営経費をご自分たちで負担している。

また北条地域ではNPO法人「北条人材バンク」をつくり、福祉有償運送を行ってきたが、年間数十万円単位の赤字が出ている。
「何とかしてくれ」と言われ、廃校となった小学校跡地の草刈りを仕事として委託し、その対価として赤字分を支払い、運営している。

これが現実である。

どれほどお叱りをいただこうとも、正直に情報・意見交換をしながら、私自身の責任のもとで解決したい。

たくさんの方々からお叱りを受けてきたが、絶対に議論から逃げることはしてこなかった。
これが唯一、自分で自慢できることだと自負している。

この4年間で足りないこともたくさんあったと思う。しかし私はこの西山も含めて柏崎のすべての町内を歩き、皆さんのお声を聴いてきた。

28歳で柏崎に戻り、皆さんと厳しい議論をしながら柏崎で生きてきた。

皆さんと同じように谷根の水を飲み、11年間消防団員として活動し、それぞれの地域に対する想いを共有してきた。

もうひとりの方(近藤正道候補)は何のために立候補されたのか?

「原発反対・再稼働阻止」のためだけに、柏崎の市議・元市議、現職県議などが自分たちで出ることなく、新潟から元参議院議員であり反原発訴訟を多く扱う弁護士として活動されている方を呼んできた。

西山の皆さんがどんな気持ちで柏崎市と合併したのか、わかっているのか。

これまでの日々、柏崎で暮らしてきた皆さんには様々なことがあったと思う。
私も2度の市長選挙に落選後、父は私が市長になる姿を見ることなく他界した。

皆さんにも様々なことがあったと思う。
介護で難儀をされたこともあれば、お子さん・お孫さんが生まれ、楽しかったこともあっただろう。

そんな人生の一部、時の一部を皆さんと共有してきた、この私の西山への想い・柏崎への想いを知っていただきたい。

西山・柏崎を本当に良くしようと思っているこの桜井に、これからの柏崎市を託していただきたい。

皆さんの想い、情熱、夢を込めて「桜井まさひろ」という名前をお書きいただきたい。

そして今日のこの話を、多くの皆さんに伝えていただきたい。

西山の誇り、柏崎の誇りをかけて、圧倒的な勝利を収めることができるよう、皆さんのお力添えを宜しくお願いします

2020年11月10日 (火)

市長選挙・個人演説会の内容

11月8日:告示、15日:投開票日となる柏崎市長選挙がはじまりました。

私は現職市長である桜井雅浩候補の応援に入っております。

11/8、9には個人演説会が開催され、感染症対策のもと、大勢の方々がご来場されました。

以下はこれまでの演説(応援および候補者ご本人)内容のメモです。

11/8 浄興寺、鯨波町内会館

11/9 藤乃家

ーーーーーーーーー

【選対本部長ほか】
・今回の選挙は柏崎市の命運がかかっている。絶対に負けられない。
・めまぐるしく変わる社会情勢に対応するためにもリーダーにはスピードが必要。「皆で相談」していては何も決められない。
・桜井市長は即断即決の人であり、柏崎を知り尽くし、また心から愛している。何としても再度、桜井市長に市政を任せたい。

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【議員(市議、県議)】

◆桜井市長の人物像

・桜井市長は304町内会すべてを自分で歩いてきた。
・政治家にとって大事なのは現場に行って直接話を聞くこと。
・通常はよほど問題なければそういうことはしないが、桜井候補は公務の合間に各町内を訪ねてきた。
・政治家は自分で決めたことを、ひとりになってもやるという信念・気概が必要。その一方で政治は結果がすべて。
・桜井市長は柏崎が大好きで市民のためなら何でもする。やりすぎではないかと感じるくらい全身全霊でやる。
・桜井市長は何とかしなければならないと思えば即行動に移す度胸がある。
・はっきりしているので時に反発や誤解を招くが信念を貫く突破力がある。
・危機に強く、明確な将来ビジョンを持っている。

◆4年間の実績

・防災行政無線ラジオの事業費30億円を経産省(エネ庁)と交渉し、特別支援メニューを創設して国の予算をつけてもらった。
・事業峻別で浮いた2億円を使い、介護・看護の人材確保に取り組む(介護の夜勤手当増額補助、U・Iターン補助金など)。
・事業峻別により小中学校の指導補助員を採用。中学校は県内1位の配置率。
・国より先に小中学校のエアコン設置を開始。猛暑に耐えられる教育環境を整備。
・使用済核燃料税により1.8億円増収。(累進課税分はまだ発生していない)
・10月1日から0~3歳児ひとりに1万円分の子育てクーポン(かしわざキッズ★スターチケット)を配布。
(インフルエンザ等予防接種やおむつ・ミルク購入などに使える子育て支援策。次年度からの予定を繰り上げ早期スタート。)
・新潟県内でもトップクラスの新型コロナウイルス感染症対策を講じてきた。
・24時間体制のPCR検査体制を市内に3か所に整備。うち1か所は小児用の発熱・PCR外来。
・特別定額給付金10万円の支給の早期実施。5月連休明けには9割以上を給付。
・原発は安全対策をしながら活用できるものを活用し、徐々に減らすソフトラーニング方式。
(すぐに止めるのはハードランニング)
・8号バイパストンネルの開通は国交省に陳情に行った成果として予算が倍増したことで進んだ。
・市長会では麻生太郎財務大臣にイノシシが暴れる様子をドローンで撮影した映像を見せ、鳥獣被害対策への予算付けを陳情。
「大臣室でこんなことをする首長は君だけだ」と印象付けられた。

◆相手候補について

・これまでの相手候補と異なり柏崎出身・在住ではない。(柏崎高校に3年通ったのみ)
・原発反対のためだけに立候補したが柏崎に根がない。

・今までの選挙は柏崎に住む人が相手だったが今回の相手候補は1か月前に柏崎に引っ越してきた人

 

<桜井市長の演説>

・柏崎は皆がつながっているまち。
・304町内すべてを自分の足で歩き、様々な声を聴いてきた。
・この4年間で出来なかったこともあるが、安心して暮らせる環境づくりに全力で取り組んできた。

・柏崎の名を売るために全力でアピールしてきた。
・柏崎の誇りであるぎおん祭り花火はフジテレビに掛け合い、BSフジで放映してもらった。約10%の視聴率。
・ヒゲソリダイの養殖が成功し、普及促進のため理容組合の納涼会で提供しマスコミを通してPR。需要が多く現在は稚魚の成育待ち。

・原発は限定的な再稼働を認めると同時に徐々に減らしていく。
・柏崎を再生可能エネルギーの集積地としたい。
・送電網を使い県外の再生可能エネルギーによる電力を柏崎に集め、東芝の水素エネルギー技術を使って蓄電し、関東圏に電力供給する構想。
・市内遊休地を活用して太陽光発電など再生可能エネルギーの普及促進を図りたい。

・現在の日本は火力発電が8割以上だが、CO2を放出し地球温暖化を進行させている。
・原子力は事故の危険性や核廃棄物の問題はあるもののCO2は出さない。
・地球温暖化により雪が降らず、イノシシ等が増えている。

・麻生財務大臣にイノシシが畑を荒らす映像(北条地区・五分一での様子をドローンで撮影)を見てもらった。柏崎を印象付けてイノシシ対策予算を確保したい(電気柵の延長)。

・防災行政無線(ラジオ)の費用30億円は「原子力発電所があるまちの安全を守るための費用は国が出すべき」とエネ庁に交渉して得た。

・ひきこもり問題への対応としてアマテラス(ひきこもり支援センター)開設に数千万円を投じた。

・コロナ禍を受けて海水浴客は激減し、これまでの観光産業を見直すことが必要。
・松雲山荘、秋紅苑(飯塚邸)、貞観園を結ぶ紅葉ルートを推奨。それぞれの庭園で柏崎市オリジナルの和菓子とお茶やミシュランガイドに載った飲食店の料理を提供できるようにしたい。

・高齢化率が34%に達し、要介護者だけでなく介護者となる家族も大変な状況。
・介護人材不足のために施設定員を満たせず、介護施設に入れないお年寄りが大勢いる。
・高齢者が豊かな一生を過ごし、家族が豊かな気持ちで最期を看取れるような介護を柏崎で受けられるようにしたい。

・子育て応援券(かしわざキッズ★スターチケット)や学校の指導補助員、介助員の配置により、子育て・教育環境を整備。指導補助員の配置は教職員にも喜ばれている。
・デジタル社会に対応するためにも、人の力によるアナログ教育は大切。児童生徒ひとりひとりと向き合うアナログ教育により、人の気持ちがわかり、ともに汗をかける先生が余裕をもって指導できるようにしたい。

・子ども達にはいったん柏崎を離れても、また戻ってきてほしい。
・柏崎市の情報産業(カシックス・48億円収益)ではまだまだ人を必要としている。働く場所はたくさんある。

・今回の選挙は柏崎のプライドをかけた戦い。
・相手候補は原子力反対派から呼ばれたが、高校生活3年間以外は柏崎のことを知らない人。
・原発反対派の皆さんはなぜ自分たち柏崎市民の中から候補者を出さなかったのか。

・過去2回の選挙戦(落選)のあと父が永眠。市長に就任した姿を見ることなく亡くなった。
・柏崎で過ごした歴史と時間を市民の皆さんと共有したい。
・地域のため、柏崎のため、日本のためにも再度、柏崎市長として働かせていただきたい。

ーーーーーーーーーー

今後も街頭演説および個人演説会が各地域で行われます。ぜひ生の声をお聞きください。

【個人演説会予定】
11/10(火)
18:30~野田コミセン
19:00~高田コミセン
19:30~半田コミセン


11/11(水)
18:30~米山コミセン
19:00~剣野コミセン
19:30~枇杷島コミセン


11/12(木)
18:30~松波コミセン
19:00~荒浜コミセン
19:30~西山ふるさと館


11/13(金)
18:30~南鯖石コミセン
19:00~田尻コミセン
19:30~北鯖石コミセン


11/14(土)
*16:00~市民プラザ前(最終街頭演説)
18:30~西中通コミセン
19:00~比角コミセン
19:30~柏崎市産業文化会館

2020年11月 4日 (水)

かしわざきスーパー「GOTOイート」&「GOTO忘新年会」申込スタート

先日の議会で可決した緊急経済対策の申し込みが11/4~スタートし、市のHPにUPされました。

◆プレミアム率66%!かしわざきスーパー「GO TO イート」チケットの申し込みを受け付けます

◆かしわざきスーパー「GO TO イート」に参加する飲食店、タクシー、運転代行事業者を募集します

◆かしわざきスーパー「GO TO 忘新年会」に参加する割烹、宴会場を募集します

 

ざっくりとまとめると下記のようになります。

【利用者目線】

スーパー「GO TO イート」
5,000円分チケットを3,000円で購入
・登録飲食店、タクシー、運転代行の会計時に利用可能(他券との併用不可)
・予約限定販売、申込は11/20(金)まで(市HP申込フォームまたは郵送)
1人2冊まで購入可能・柏崎市民のみ
・購入引換券が送付されるので、販売窓口に持参して購入
(窓口=柏崎市産業文化会館、柏崎市総合体育館、西山ふるさと公苑、高柳町商工会
・購入期間 11/28(土)~12/6(日)
・利用期間 12/1(火)~1/31(日)

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●スーパー「GO TO 忘新年会」
10人以上・5,000円(飲み物別)以上の宴会利用に対して2,000円/人割引
・チケットなし。会計時に―2,000円で処理(会計値引き)
・店舗予約時にスーパー「GO TO 忘新年会」の利用を伝える(GOTOイートチケットの併用不可)
・柏崎市民、柏崎市内の事業所等に所属する人が対象
・利用期間は12/1(火)~1/31(日)

【事業者目線】
スーパー「GO TOイート」
<対象>
・市内飲食店のうち、新潟県Go To Eatキャンペーン食事券の取扱店として登録している
・柏崎市ハイヤー協会に加盟する事業所
・市内運転代行事業者

<登録の流れ>
・申込書を柏崎市商業観光課に提出。申込は12/20(日)まで。
・登録後は市のHPに掲載
・登録店舗はポスターを掲示
換金方法詳細は後日連絡

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スーパー「GO TO 忘新年会」
<対象>
・市内飲食店で、新潟県Go To Eatキャンペーン食事券の取扱店として登録している
・「10人以上」かつ「食事のみで1人あたり5,000円以上」の予約対応ができる
・感染症対策として検温(非接触型)を行う

<登録の流れ>
・申込書を柏崎市商業観光課に提出。申込は11/18(水)まで
・新潟県Go To Eatキャンペーン未登録の場合はあわせて県に申請。
・予約時、「スーパーGo To 忘新年会キャンペーンを利用」を伝えられたら、事務局に予約内容を電話で連絡
・会計時、利用者(幹事)から、申請書を受け取り、1人につき2,000円を割り引いて領収してください。
・会計後、事務局に割引差額を請求(申請書、領収書控えの写し、請求書を提出)
請求方法詳細は後日連絡。

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応募・募集期限が迫っていますので、ご利用の場合は早目にお申し込みください。

2020年7月16日 (木)

【オンライン研修】新型コロナウイルス感染症について

7月16日は中越沖地震から13年目、柏崎市では10時~1分間のシェイクアウト訓練を実施しました。

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同日は自民党女性局政策研究会をオンラインで受講しました。

中でも印象的だった講義は、厚生労働政務官・自見はなこ参議院議員による「新型コロナウイルス感染症について」

自見先生はダイヤモンド・プリンセス号に乗船し、長期に渡り対応されています。

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」への対応ついての御礼

その経験をもとにした講演で、大変参考になりました。以下はそのメモです。

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*******

新型コロナウイルス(COVID-19)の感染がはじまった頃(2月)にわかっていたのは以下のことである。

●8割無症状・2割症状
●高齢者-重症化しやすい
●若者-不顕性感染パターン

最近は血栓と関連していることが明らかになってきた。

自粛期間は国内での感染症対策として大きな意味を持っていた。

感染流行を遅らせる=病気の正体知り、治療方法を調べる期間。 

(感染症の鉄則は「感染を遅らせて時間をかせぐ」ということ)

新型コロナウィルス感染者・・発症して5日目に呼吸困難に陥った症例を検査→小さな血栓症が肺にできていた。

遺体を解剖したところ、血管の中に数珠上の血栓→通常の血栓とはメカニズムが違う。

血栓予防=血液サラサラにする薬が有効。

免疫応答との関連性が明らかになってきた。

国民の皆様のステイホームにより、こうしたことを調べる時間を稼がせていただいた。

新型コロナウイルス感染拡大

1月:中国・武漢~感染がはじまる。

第一波は観光客→バス運転手などが感染。

国は武漢に駐在する日本人の救出と検査が主なミッション

外務省スーパーチーム(チャイナスクール出身者)が武漢入りして全員チャーター便に乗せて日本に連れてきた。

1回のチャーター便→2週間自宅待機。

厚労省では帰国者を宿泊施設に2週間待機。

当初から宿泊3施設に分散し、感染症対策8チーム(日本感染症学会等、専門的な知見を持つ様々な集団)が入っていた。

→マニュアル、ラウンド、ゾーニングなどを1月末には確立している。

 

◆ダイヤモンドプリンセス号にどう対応したか?

・日本での対応を断ることはできた。どこがパンデミックの責任をとるか取り決めがない事態であり他の国は断っている。

・那覇で仮検疫し、移動中に発症。当初は3700人が乗船、30人に症状、10人陽性。

・人道的配慮から受入を決断(火中の栗を拾う事態)。

・2/10船長と面会。イタリア人であり素晴らしい人だった。第一声は「助けてください」

・船長は乗客の命を預かっている。「ミッションは全員を無事に下船させること。一緒に働くことで、この困難を乗り切らせてほしい。」

・船長は毎日船内にアナウンスを入れ、乗客を励ましながら率直に状況を語っていた。

・検疫業務=本来なら乗客だけにしたかった。しかし乗務員(クルー)がいなければ成り立たない。

・乗客は個室に入り、乗員は働きながら手指消毒、手洗いを徹底。飛沫にも配慮。監視員もつけてチェック。

 →感染広がらなかった=「新しい生活様式」そのもの。

・クルーの感染防御、抑制は実証できた。

 

◆国内対策と直結する点

1、情報が整理されないと混乱を招く。

・情報が乱れ飛ぶことが国民の不安・疑念を呼ぶ→不信感のもとになる。

・ダイヤモンドプリンセス号では多元的な名簿管理に苦慮。(年齢別、基礎疾患別、発熱外来など)

→国内対策における名簿整理の重要性。

2、日本が恵まれている点=局所的に感染を封じ込めることを経験

・全国のD-MATがチームに参加。→重傷の国内患者が増える前に、ある意味で落ち着いた状態で治験とれた。

・対応についての様々な批判は承知しているが、貴重な治験を得ている。

・治験:3700人(基礎疾患2000人)その後はクルー(乗務員)、エッセンシャルクルー(生活を支える職種)厚労省スタッフ

◆船長のエピソード

・夕方18:30の下船時、エッセンシャルクルーが一斉に入れ替わる日(空白ない)

・船長は18:00に下船。「おやすみ、ダイヤモンドプリンセス」・・翌日は船の18歳の誕生日。

・船長からは「日本政府だからこそ乗り切れた」

◆クルーも日本チームも一緒になって「ワンチーム」で働いたことは、科学的にも医学的にも誇るべきこと。

*ダイヤモンドプリンセス号からは、ひとりもクラスター出てない。

水際対策は残酷さを伴う

→国内クラスター出さないこと、死者を船内から出さないこと(自殺者も含め)が目標だった。

感染により差別や偏見に苦しむ人も・・

ダイヤモンドプリンセス号での経験には国内対策を凝縮したものだった。

最後まで残った厚労省幹部は2週間経過措置。その2週間でアメリカ、イタリアで感染拡大。

ダイヤモンドプリンセス号で行ってきたことは、その後の保健所対応に反映。

◆情報システム

1、G-MIS(ジーミス) 

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・国内病院で発症すれば外来が機能しなくなる。

・COVID-19による機能縮小、人口呼吸器残量の把握→すべての病院から一括で情報(すでに神奈川県で運用)

・政治的には2つの障壁・・医師会と都道府県知事

 医師会:病院からすれば監査で病床機能を示すのと同様の恐怖感。しかし日本医師会からは「絶対必要であればやってくれ」との言葉をいただいた。

 知事:今までは都道府県に情報収集を頼んでいた。鳥取県の平井知事(地域医療構想で関係)の英断により可能に。

・ワンクラウドで共有(政令指定都市も含め)→マスク不足なども把握。支援物資の供給に役立つ。

・未発表データ分析すると色々なことがわかる。

 感染者数がピークになる日→新規患者22日→病院の負荷は33日

2、HER-SYS(ハーシス)

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・保健所との情報共有システム

・電話連絡は現場のストレス(深夜0時を過ぎてやっと保健所と電話がつながっても、厚労省だとわかると電話を切られる)

・システムつくり一元化→全国展開し、75~80%保健所が運用。一部自治体では整理中だがほとんどの地域で活用。

・ワンクラウドで患者情報を共有。

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・G-MISは物品管理、HER-SYSは個人カルテ。

・保健師にとって電話の手間が省ける。FAX→オンライン。

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・電子的に追跡調査、情報共有可能に。

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・ワンクラウド→住居地と勤務地が異なる場合にも情報共有。

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・HE-SYSの入力は事務員でもよい。

◆保健所の支援

・北九州市には170人規模で応援。保健所には200人超えて派遣されている。

・保健所支援、検査支援はセット

・医療機関、検査機関の確保どうするか

・保健所支援の在り方:次の波にも関わる存在意義にもなってくる。

◆高齢化率の進み具合と死亡者数の相関性

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*世界と比較すればクラスター防いでいると言える。

<質疑応答>

●学校休校について子ども達は重症化しないのか?

治験段階なので一般論でしかない。まずは手洗い、うがいが重要。

感染症の調査にあたった厚労省職員が4名感染→陽性

ひとりめは手袋をして感染者の荷物を触った手でスマホ、ボールペンを持った手で食事

・・「接触感染」がもっとも多い。 

冷蔵庫や電子レンジのドアノブを介しても感染する。

飛沫距離は2mと言われる。子どもがフェイスシールドをすることにあまり意味がない。 

手洗いの徹底、手づかみで食物をとらない。 

児童PCR検査→対象者広げる方法も一案だが、既存のシステムを利用した追跡調査もある。

「学校欠席者情報収集システム」の活用(サーベイランス)*日本学校保健会が運営

学校等欠席者・感染者情報システム

全国の学校、保育園等で導入。午前中に入力すると午後にも反映される。(読売新聞でも取り上げられた)

 

●幼稚園・保育園の休園により経営悪化しているのではないか。 

医療機関は出来高払いのため、患者が来なくなり収入減っているが、保育園・幼稚園は収入減少していない。 

 

●妊婦に対しての支援策は? 

コロナで休業の妊婦支援 収入減や検査費を国が助成

「母健カード」産婦人科、助産師 特例的にコロナで使えるようにしている。

本来は妊娠中毒症だけに使えるものであり、事業主が休ませる義務が生じる。 

有給か無給か?→労働法制上は無給だが、有給扱いになる。(妊婦に対する休業補償)

 中小企業事業主へ伝えていただきたい。 

妊婦のPCR検査 10/10補充→赤ちゃんの感染が確認された場合は母子外来

産後ケア(訪問・寄り添い)行う都道府県に限って10/10補充する

 

●看護師支援

院長の退職金削りボーナスにあてた病院も・・

病院の支援は待ったなし。どうすれば?保健医療は保険者がいる。一般病院を潰さないように・・

 

●GOTOキャンペーンについて

感染拡大させない対応を徹底的に行い、総合的な判断をする必要がある。→命を守ることと経済をまわすことの両立。

 

●ワクチンについて。

買い取りは国際競争。1億人に打つことは人への健康被害も懸念。

 

●ダイヤモンドプリンセス号は外人が多くて大変ではなかったか。

外国人医療、医療通訳の問題。多言語コロナ用の案内→もうすぐできる。

 

●船内清掃の方法は?

タイベックスーツを着て、自分も行った。清掃方法マニュアルがある。

 

●検査機器の購入について。

PCR機器は10/10国負担。各病院に購入してもらいたい(事業者負担ゼロ)。

手に入らないものもあるが厚労省で対応を。

 

●避難所対応について。

熊本ではクラスター班等が各避難所を巡回して分析し、状況改善をはかっている。

事前の備えとして消毒液ストックなど、コロナ流行していない地域ほど準備を入念に。

 

●HER-SYSの早期導入できなかったのか。

10年前の新型インフル蔓延期にすでに分析されていた。
政権交代もあり、行政の連続性が切れた時期がある。
超党派で取り組むべき課題。

 

●地方でのコロナ第2波対応は。

情報共有が重要。関係者を招集すること。

福井県では一気にクラスター増えた。→医療関係者を県が招集し状況説明し、病床数を把握。 

3日後にドライブスルーPCRセンターができた。

心肺停止した人と遭遇したときの対応と同じ→多くの協力者を求める。 

 

●空気清浄機の効果は。

換気がいちばん効果的。

 

●啓発について。

直接知ることが大切(オンラインでも可)

医師会 有識者会議 がわかりやすい動画を作成し発信している。

厚労省HPもわかりやすくした。

*********

以上、制限時間ギリギリまで質問に答えていただきました。

ダイヤモンド・プリンセス号の対応があったからこそ、日本は治験を得ることができ、その後の感染拡大防止に役立てることができたということを、本講演を通じて理解できました。

日々変わる情報と対策を見極めながら、柏崎市における新型コロナ対策にも役立てていきたいものです。

2019年10月31日 (木)

宮川典子先生へのメッセージ

10/31自民党女性局北信越ブロック会議に出席しました。

北信越ブロックは富山、石川、福井、長野、新潟から構成されています。
党本部からは三原じゅん子局長、堀内詔子局長代理、三谷英弘次長がご出席されました。

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冒頭、先月永眠された宮川典子先生(自民党女性局長代理)に黙祷を捧げました。

会議の中で、今後の女性局が取り組むべき活動について、女性局長代理としてご活躍され、先月永眠された大好きな宮川典子先生を想いながら、「治療と仕事の両立支援」を要望させていただきました。

三原じゅん子局長からは、宮川先生の乳がん発症が、おそらく文科省政務官就任時と重なり、責任感・使命感の強さ故に、治療よりも仕事を優先させたのではないかと・・。

病気になっても治療しながらキャリアを積める、治療と仕事のどちらもあきらめなくてよい社会にするための法整備を進めたいと、三原局長は何度も声を詰まらせながら、お話しされました。

ところで今回の会議では、宮川先生へのメッセージを募集していたことから、以下のものを提出いたしました。

 

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宮川典子先生、ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました。

初めてお会いしたのは、4年前の新潟県長岡市での児童虐待防止活動でした。
前段の講演では、子ども達を虐待から救うための短縮ダイヤル189番のことはもちろん、親が虐待にいたる背景にある孤立や貧困、自らも虐待されて育ったことによる「負の連鎖」もなくしていかなければならないと、涙ながらに訴えられ、続く街頭活動では、気さくに温かく接していただきました。
その時から宮川典子先生は、もっとも尊敬する大好きな女性政治家となりました。
 
その後も何度かお目にかかる機会を得て、平成29年春には私の地元・柏崎市にて行われた「女性の働き方茶話会(当時のふるさと対話集会)」に講師として来ていただき、「いつでも・どこでも・少しでも・何度でも、仕事ができるようにすることが真の働き方改革」だと、わかりやすく教えてくださいました。
またお帰りの時間ギリギリまで、出席者ひとりひとりの話に真剣に耳を傾け、「皆さんからのお声を必ず国政に反映させる」と約束していただきました。
ご一緒した方々が宮川典子先生の大ファンになったことは言うまでもありません。

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 その年に行われた衆議院議員選挙の自民党公約には<女性が働き方、生き方など自分の希望を実現し、個性と能力を十分に発揮できる「すべての女性が輝く社会」を実現する>との一文があり、約束を果たしていただいたことにあらためて感動した次第です。

 私が初めての選挙に挑戦するときにも、温かい励ましのお言葉とともに、勇気とパワーをいただきました。宮川先生との出会いがなければ今の自分はいなかったと思います。

 社会やご自身を取り巻く無数の「理不尽さ」と闘いながらも、いつも明るく、優しく、力強く、志は高く、腰は低く、私達と同じ目線を持って政治の場で働いてこられた宮川典子先生は、日本の良心であり、希望でした。

宮川先生が天国に旅立たれ、深い悲しみと喪失感は今も消え去ることはありませんが、
「いつでも、どこでも、誰でも、何度でも、チャンスにアクセスできる国・日本の構築」
という先生のお志を地方から形にしていけるよう、精一杯頑張ります。

最後になりますが、宮川典子先生、本当に、本当に、ありがとうございました。
あらためて心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

2019年10月18日 (金)

アジアを知る!国際理解セミナー「台湾最新事情」

2019年度 国際理解セミナー「アジアを知る!台湾最新事情」に参加しました。

講師の新潟産業大学名誉教授 詹秀娟(せん しゅうけん)先生から、台湾の歴史背景、政治情勢、日本との関係について詳しく伺いました。

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台湾はオランダ、スペイン、清朝などに統治されてきた島国で、1895~1945年は日本領としてインフラ整備や日本式教育が行われました。

しかし戦争に負けた日本は台湾から去り、代わって中国大陸で毛沢東に敗れた蒋介石率いる国民党軍が入国。
それまで中国大陸にあった中華民国政府が台湾に置かれるようになりました。

(中華民国は1911年の辛亥革命により中国大陸に樹立。)

その圧政に反発した元々の住民(内省人)は粛清され、将来有望な若者達の多くが犠牲となり(二二八事件)、戒厳令が出されました。

映画「悲情城市」では、この時代の庶民の暮らしや、理不尽な弾圧が描かれています。

https://youtu.be/XLcnPS3FgNo

やがて二代目総統・蔣経国(蒋介石の息子)の副総裁だった李登輝氏が総統に就任します(1988~2000年)。

初の民選・内省人で日本式教育を受けた親日家としても名高い李登輝総統により、戒厳令は解かれ、台湾は民主化を実現しました。

その後は

陳水扁総統(2000~2008年、台湾独立派の支持を受け、初の民進党出身の総統として就任するが収賄等で失脚)

馬英九総統(2008~2016年、国民党出身・中国寄り政策を進めた為、若い世代の反発を買い「ひまわり学生運動」が勃発)

を経て、2016年に就任した蔡英文総統(民進党・李登輝元総統の秘蔵っ子で初の女性総統)は、中国との間に一線を引いています。

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一方の中国は「台湾は中国の一部」との主張を続け、蔡英文総統下の台湾は、様々な圧力により国際社会から孤立させられています。

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今の香港での混乱は、中国による「一国二政府」の限界を示しており、来年1月の総統選で蔡英文氏が再選されなければ、台湾は中国に飲み込まれ、日本にとっても厳しい状況になることが予測されます。

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台湾は親日国であり、東日本大震災では多額の寄付をいただき、このたびの台風19号でもいち早くお見舞いメッセージが発せられています。

台湾からの訪日客は年々増え続け、日本でも台湾人気は高まっています。
柏崎市でも台湾商談会やスポーツ関係など、ようやく交流ルートが固まってきました。

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今年3月には柏崎市のインバウンド推進協議会及び柏崎観光協会の主催で、台湾の旅行社を招聘しインバウンド誘致事業が実施されました。

詹先生が通訳として同行され、台湾のエージェントからは、

「柏崎には原風景とも言える荻の島があり、美しい四季、美味しいお米、お酒、新鮮な魚介類などがあります。そして、暖かい人柄、観光資源が沢山あります。大いに宣伝すべきです。海の大花火大会でホテルの確保が可能ならば、すぐにもツアーを組みたい。今後は柏崎と他の地域と連携して観光地の一つとして候補したい」

と好評だったそうです。

(後日談:台湾旅行社が来年の花火のために抑えたのは、長岡のホテルだったそうです・・)

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インバウンド推進にも欠かせない大切な隣人・友人として、あらためて台湾への理解を深めた講座でした。

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2019年9月14日 (土)

曽我ひとみさん講演会

本日9月14日、曽我ひとみさん講演会(柏崎市主催)に参加しました。

曽我さんは昭和53年(1978年)に母ミヨシさんとともに北朝鮮に拉致され、24年もの間、ご家族と離れ離れでの生活を余儀なくされました。
この間、チャールズ:ジェンキンス氏とご結婚され、2人のお子様に恵まれました。
2002年10月に日本に帰国を果たすことができ、2年後にはご主人と二人のお子様が日本へ帰国されたものの、母ミヨシさんとの再会はいまだ果たせていません。
現在ミヨシさんは87歳。他の11人の拉致被害者とともに、一刻も早い救出を願い、政府への要望や講演活動を行っていらっしゃいます。

以下はその内容です。

<柏崎市の拉致問題取り組み>

平成14年、小浜・佐渡・柏崎 拉致被害者関係市連絡会をつくり、政府に拉致問題全面解決のぞむ要望書を毎年提出している。
拉致を知らない若い世代も増え、拉致問題の風化が懸念される。
拉致被害者がいることが「遠い国の話」にならないよう、若年者への啓発として、蓮池薫さんに中学生への講話をお願いしている。
「知らない」ことが解決の障害にならないよう、また解決のために行動するきっかけになるよう、本日の講演会を企画した。

 

<櫻井市長より>

曽我さんは43年前に拉致され、何気ない日常、家族との生活ができない年月を過ごされた。
何気ない日常生活を送れることに喜び、ありがたさを感じていただきたい。
また曽我さんの想いを共有し、より多くの方々に伝えていただきたい。
尚、今回の講演会は、蓮池薫さん・由紀子さんご夫妻が佐渡に訪れた折、曽我さんとお話して、ぜひ柏崎へお越しいただきたいということで実現した。
蓮池さんのご両親も会場には見えられている。
親と子がお互いを思い合う気持ちを共有していただきたい。

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<曽我ひとみさん>

今年は私が帰国して17年目、拉致されてから43年目となる。
昭和に拉致され、平成に帰国できたことは、私にとっては幸運だった。
しかし昭和に起きた拉致事件が、3つの年号をまたがっても解決できないのはなぜ?

24年間、北朝鮮で過ごした私だからこそ言えることがある。

過酷な環境で、耐えることが限界に達している苦しさを想像していただきたい。
拉致された当時は20代前後の若者は、今は老齢期を迎え、孫やひ孫がいるかもしれない。

北挑戦で新たな家庭を築き、家族のかたちが確立されていれば、今さら日本に帰って自分の居場所はあるのだろか?と悩みを抱える人もいるかもしれない。それだけ流れた時間は長すぎた。

幸い私たち帰国した5人の子ども達は当時は学生で、さまざまな支援を受けて今は社会生活ができている。
だが、あまりにも長い時間が経っているにも関わらず、全員帰国できない。

北朝鮮の時間稼ぎによって、拉致被害者は日本に帰ることに不安を感じているかもしれない。
拉致被害者家族の高齢化、拉致問題の風化に、私自身も不安を抱いている。
だからこそ1日も早い解決を望む。

私が体験したこと、母のことを聞いていただきたい。
昭和63年8月12日、夜7時過ぎのこと。
当時の私は佐渡総合病院で准看護師として働き、週末は実家に帰って疲れを癒すのが常だった。
その日も実家に帰り、母はいつも通り仕事に行き、帰宅後は食事をつくって家族と過ごしていた。
翌日はお盆で、母はお供え物のお赤飯を準備していたが、足りないものに気付き、買い物に出ることにした。
二人で近所の雑貨屋へ行った。家から400~500mの距離の、同じ集落内の雑貨屋だった。
買い物をすませ、店を出てたわいもない話をしながら歩いていると、後ろから足音が聴こえた。
急ぐ風ではないものの、足音の間隔が徐々に狭まってきた。
振り向くと3人の男性の姿が見え、「何だろう?少し気味が悪いね」と母と話した。

家まであと100m足らずのところで、男性3人は足早に私と母の前に回り込み、突然口をふさがれ、手足を縛られ、南京袋を被せられて運ばれた。
少しすると川の音が聞こえた。現場では男性と女性が日本語で何かを話していた。
女性の日本語は少し変だと感じた。
そのまま小さな船に乗せられ、沖まで連れて行かれ、そのあと大きな船に乗せられた。
南京袋は外されたが暗い船室に押し込められた。
自分の身に起きたことに恐怖し、声を殺して泣くばかり。そのうち泣き疲れて眠っていたらしい。
ひとりの男性が食べ物を持ってきた。数時間経つとまた、同じ男が食べ物を持ってきた。
さらに数時間後、どこかに着いた。外の明かりが差し込み、まぶしくて一瞬目をつぶった。
徐々に明るさに慣れ、見渡すとさびれた港だった。
時計は8月13日、午後5時だった。

日本語を話す女性に「ここはどこか」と聞いたら「北朝鮮」・・当時は初めて聞く国名だった。
船を降りると大きな車が停まっていた。
工作員と思える男性が「これに乗って駅に行き、列車で平壌へ向かう」
「母はどこにいますか?」と聞くと「お母さんは日本で元気に暮らしている」
かなり威圧感があり、それ以上、母のことは聞けなかった。

途中で1泊し平壌に着いたのは、8月15日早朝だった。
招待所まで連れて行かれ、日本語を話すおばさんと生活した。
この女性はのちに国際指名手配されたキム・ヨンス。
拉致実行犯と一緒に暮らしていたのだから、今考えてもおかしな環境だった。

おばさん(キム・ヨンス)は日本語すべてを理解していないし、私も北朝鮮の言葉はわからないので、あまり細かい意思疎通ができなかった。
見るもの・聞くことすべて理解不能で、これからどうなるかという不安と孤独感で、気が狂いそうだった。

平壌に来て数日後、組織の幹部がきて「今日から別の招待所に移る」と言われた。

招待所には先にひとりの少女がいて、笑顔で迎えてくれた。それが横田めぐみさんだった。
めぐみさんは妹と同じくらいの年で、すぐに仲良くなった。
えくぼの可愛い少女で、あのときの笑顔は今も忘れられない。

めぐみさんは、私といるときはいつも笑顔だった。
一緒にいた8か月の生活は大変ではあったが、めぐみさんのおかげで嫌なことを考える時間がなくなった。

二人っきりの時、あるいは皆が寝静まったあと、小声で日本語で話をした。
家族のこと、友達のこと、学校のこと・・・
外に出るときは、二人でこっそり日本の歌を歌った。
指導員に見つかれば大目玉だが、二人とも日本が恋しかった。
毎日、どうしたら日本に帰れるだろう?と考えていた。
結局、帰国できるまで24年かかった。

皆さんは北朝鮮にどんなイメージを抱いていますか?
極悪非道な国?冷血な人種?

たしかに拉致を指導・実行した人達は犯罪者だと思う。
でもそれ以外は普通の人だった。
ただし特別地区に暮らしていた人達なので、一般の人達のことはわからない。
指導員と呼ばれる監視役は皆いい人だった。

北朝鮮の生活水準は低く、物資は常に不足していた。
一部の特権階級の犠牲になって、それ以外の人達はなんとか命をつなぐ状況。

娘たちのエピソードをご紹介したい。
彼女たちの運動会には誰も来ない。
なぜなら自分たち夫婦は隔離され、娘たちの学校に行くことができないからだ。
他の子たちは家族と一緒にお昼を食べる。
誰も家族が来ない娘たちがポツンとしていると、友達の家族が呼び寄せてくれて、食べ物もわけてくれた。
自分達だって決して裕福ではないのに、親御さんは「好きなだけ食べなさい」と、娘たちに食事をごちそうしてくれた。
組織と無関係な人達はごく普通の人達。このことも知っていただきたい。

話を戻すと、拉致されたあと結婚し、新婚当初は別地区にある一軒家の招待所にいた。
娘が生まれて1か月経つと、亡命した米兵達が住む特別区のアパートに移された。

蓮池さんご夫妻がいた招待所は私達がいたところと異なっている。
同じ拉致被害者であっても、アジア系の見た目が同じ人達と、外国人が暮らす地域は別になっていた。

2年後には次女が生まれ、アパートでは他にも子ども達がいる家族が住んでいた。
アパート専門の保育園(保育士ひとり配置)に2年間通い、言葉など教えられていた。

生活は苦しかったが ひとりでなくなったことが嬉しかった。

自己流の子育てだったが、アパートの先輩方のアドバイスのおかげで、子供達は大病せずにすくすく成長した。

いちばん親切にしてくれたのは、同じアパートのタイ人女性・アノーチャさんだった。
彼女も拉致された人で、すでにご主人が亡くなっていた。
娘たちが慕っていて、私にとっても姉、母のような人だった。

長女が小学校に上がる前に引っ越ししたので、分かれ分かれになったが、彼女も拉致被害者のひとりであり、救出を待っていると思う。

子育て中に残念だったことは 子どもの学校行事に参加できなかったこと。
隔離されていたから、学校に行くことが許されず、遠くから見ることもできなかった。
そんな状況でも子ども達は元気に育ってくれたことが嬉しかった。

つらかったのは冬。北朝鮮の冬は、痛いくらいの寒さで肌につきささるようだった。
柏崎も大雪に見舞われるだろうが、氷点下20~30℃になる北朝鮮の比ではない。
帰国してから今の生活が当たり前となった。北の生活はもう嫌。

北朝鮮は発電技術が未発達で、しばしば重油不足となり停電した。
お風呂に入れないため、体をお湯でしぼった布で拭くが、すぐに冷えてしまう。
夜は寒くて眠れず、家中の服を着込んで、家族がかたまって眠った。

スイッチひとつで冷暖房使い放題の日本は、北朝鮮の住民からみれば天国だ。
拉致された当時の日本と比べても、北朝鮮の文化レベルは低い。
それでも我が家には古い家電製品はあり、一般住民よりは恵まれていた。
ただし停電により家電はたびたび使えなくなった。

家電はいつ頃の製造かわからない古い製品で、維持費もかかった。
洗濯物は雨水をためて手洗いしていた。

おそらく今も北朝鮮国民の文化レベルは変わらない。
何年も続く経済制裁により、一般の人たちの生活困窮はピークに達していると思う。
食糧難もひどすぎて全国民を救えない。
北朝鮮に住んでいたからこそわかるが、彼らの生活は皆さんが想像する以上に過酷だ。
特権階級のために、いつも一般の人々が犠牲になっている。

北朝鮮では買い物は週1回許され、指導員に頼み車を迎えに寄こしてもらった。
どうしても足りないものがある時はこっそり買い物に行くしかないが、指導員に見つかると怒られる。

闇市での失敗談がある。
「中身がわからないものは買ってはならない」と思いつつ卵を買ったことがある。
ひとつ割ったらヒヨコになりかけ、もうひとつ割るとドロドロに腐っていた。
半分以上はダメだったが、それでも残った卵を使い誕生日のケーキを焼くことできた。
買い物ひとつとっても日本は幸せであることを、再確認していただきたい。

北朝鮮では最低限の生活費が毎月決まった日に配給される。

必要経費を振り分け、どうしても欲しいものは貯金して買うしかないが、突発的な家電故障などがあり、家計は厳しかった。

食料品はほぼ北朝鮮製、たまに中国製だった。日本製は安全だがすべて高く、とても手が出せなかった。

お金が足りないと闇市に行き、トウモロコシの粉をこねてうどん、パスタ代用品にした。
主食として白い米を目にすることがない。
一家に支給される米の量も決まっていたが、常に石や虫が混ざっている「灰色の米」だった。

インドネシアで家族と再会したとき、日本からお米を持って行き、炊いてもらった。
「お米って白いんだね」「変な匂いがしないんだね」「こんなおいしいご飯食べたのは初めて」と娘達は喜んでいた。

拉致されてから24年間、よく無事に生き延びたと自分をほめたい。
要因は大きな病気をしなかったことだと思う。

北朝鮮では医療技術が遅れ、さらに医療設備はおそまつな状態。
健康診断もないので、症状出てから病院に行っても間に合わないことが多い。
日本でいう診療所レベルの「病院」しかない。
診断を間違うので、命に関わる病気でも治療してもらえない。

同じアパートの人は病院で風邪と診断されたが、実は癌だった。
やはり拉致された人だった。
その人にだって夢があり、やりたいこともあったはず。なんて理不尽な人生だろう?

拉致された人たちの中には、命にかかわる病気で亡くなった人がいるかもしれない。
あまりにも時間が経ちすぎている。
もし重篤な病状でも、医療では助けられない。
病気で亡くなってしまっていた、という拉致被害者をひとりも出したくない。
1分でも1秒でも早く解決してほしい。

私個人の力では無理だが、母を含む被害者全員が帰れるよう、講演、署名など行ってきた。

母がどうなったかいまだ解明されていない。
北朝鮮は「未入国」としている。
母も今年は米寿で88歳、日本にいれば元気にしていただろうが、北朝鮮にいればどうなっているかわからない。

母の話は手記にも書いたが、いつも同じ姿が目に浮かぶ。
母は朝早くから夜遅くまで、身を粉にして働いていた。
朝の仕事を終えると私たちに朝食を食べさせ、自分も食べてから工場へ出勤。
帰宅すると夕食をつくり、片付けのあと、ザルをつくる内職をするのが母の毎日の生活パターンだった。

当時、私の家は貧しく、母が朝から晩まで働いても生活は楽でなかった。
母は愚痴をこぼさず、いつも明るくふるまい、子ども達が少々悪いことをしても怒らない。
自分よりも子供のことをいちばんに考える、優しい母だった。

私の遠足では、いろいろなおかずの入ったお弁当を持たせてくれた。
でも母の弁当はごはんと塩辛い漬物だけ。

「どうして母ちゃんは漬物だけなの?」と聞くと、「漬物が塩辛いから腹いっぱいご飯が食べられるんだ」
・・今なら母の気持ちがわかる。

友達の着ていた新しいセーターがうらやましくて、家のタンスからお金持ち出しセーターを買ってしまった。
家族といえど許されない行為のはずだが、気付いても母は怒らなかった。

「母ちゃんが買ってやれなくて、かんにん(ごめん)な」・・頭ごなしに怒られるよりも心に突き刺さった。
本当に優しい母だった。

盆踊りの時、友達はみんな浴衣だった。うらやましい、仲間外れになりたくないという気持ちから

「私も浴衣で行きたい。祭りまでに浴衣を縫って」と駄々をこねた。

母は和裁ができたからだが、文句も言わず浴衣を夜なべで縫ってくれた。

いま思い出しても無理ばかりさせた。反省と感謝しかない。
あの頃の母はどんな気持ちだったのだろうか。
働きづくめで、おしゃれもできず、数えるくらいしか出かけなかった。

母の写真は両手の指で数えられるくらいしか残っていない。
母がいなくなった年齢である46歳を自分はとうに越した。
母のわがまま受け止めたい。愚痴をこぼして本当の気持ちを話してほしい。

帰ってきたら、やりたいことをさせたい。
おしゃれをして旅行へ出かけ、笑い声のたえない生活をしてほしい。

そんな未来を希望するが、母の年齢を考えるともうそんなに待てない。

帰国してから、国家間での難しいことはわからないが、ニュースは常に意識している。
北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返し、何がしたいかわからない。

政府も手をこまねいているわけではないと思うが、日朝協議首脳会談の道筋をつくり、粘り強く交渉続けてほしい。

毎年「今年こそ」と思いながら、ここまで来てしまった。
40年は長すぎる。これ以上時間はかけられない。

北朝鮮の一般的な生活状況は、さらに悪くなっている。
現地に暮らす日本人はこう思っていることだろう。
「いつ私を助けてくれますか?誰でもいい、私をふるさとへ帰してください」

世界でたったひとりの母も、現在どうなっているかわからない。
丈夫だけが取り得の人だから、日本にいれば今も元気に畑仕事をしていたに違いない。
しかし病気になればどうなるか?
足腰が弱り、自分のことできなくなっているのでは?

北朝鮮には日本のように介護施設もない。自分と家族と隣近所の人だけが頼り。
元気でいることを願うしかないが、残された時間が少ない。

時間との勝負は家族会の親世代も同じ。
皆さんはいつ倒れてもおかしくないのに、公の場に姿を見せ、満身創痍で活動を続けられている。
1日も早く、ひとりでも多くの日本人拉致人被害者取り戻したい。

署名1筆の積み重ねが、奪われた人たちを取り戻すことの助けとなる。
今日の話を一部でもいいから、知人・友人へ伝えていただきたい。

まだ解決しない拉致問題に奔走する家族と、過酷な環境で救出の日を待つ拉致被害者の
「お帰り」「ただいま」を一日も早く聞けるように。

___________

質疑応答

(市内教員)
拉致問題を知らない若い世代が増えている。
教員である私に何ができるかといえば、子ども達と学び、考えていくこと。
「北朝鮮の人々は普通の人達」
今日のお話を聞いて、拉致問題を伝えるとき、ヘイトスピーチになってはいけないとあらためて感じた。
では逆に何を伝えるべき?大切にすることは?

(曽我さん)
ある学校で小学4~5年生くらいの子ども達から質問された。
「拉致って何ですか?」
ひとことで言えば「人さらい」だが、子ども達に「拉致とは何か」というところから入っていくべきという想いになった。
北朝鮮の一般の人達は、拉致が起こっていることさえ知らない、普通の人達だと思う。

なぜ子ども達に拉致の話を言い続けているか?
今は日本と北朝鮮は仲良くないが、拉致問題やいろんなことが解決した暁には、子ども達もきっと仲良くなれるに違いない。

私自身は嘘はつきたくない。
皆さんは北挑戦に良いイメージ持っていないだろうが、そうではない、良い人もいるということを伝えたい。
拉致されたために自分の人生が狂ってしまい、仲の良い家族と長い間、離れ離れになることの苦しさ、痛みを教えてほしい。
だからまずは今ある家族を大切にしてほしい。

 

(市内会社員)
曽我さんのお話を伺い、「生きる姿勢」に感銘を受けた。
突然日常を奪われ、お母さんとも離れ離れになり、人生を狂わされてしまいながら、どんな心境で生きてこられた?
他の苦しい想いを抱えて生きている人達へのアドバイスとして、ひとことお願いしたい。

(曽我さん)
私のような者がアドバイスする立場にはないと思う。
拉致されて北朝鮮にいたころ、自分自身これからどうなっていくのだろう?もう日本には帰れないのだろうか?とずっと考えていた。
生きる勇気がなくなったことも正直何度もあった。
ある程度のことは時間が解決してくれる。

家族が出来てからは「どうせ日本に帰れないなら、ここで出来た家族をもっともっと大切にして愛していかなければならない」と考え方を切りかえた。
家族を守っていこうと考えたとき、自分自身が強くなった。
家族とどんなことがあっても一緒にいたい。
日本の父や妹に何もしてあげられない分、自分の家族にはできる限りのことをしていこうと思うようになった。

 

(市内某氏)

私は今後も拉致問題は解決できないと思っている。
その大元は日中戦争後の処理、戦後補償きちんとやらなかったからではないか。
日本は北朝鮮から70万~200万人拉致したのに、それを無視している。
西ドイツのブラント首相はナチスドイツの罪を土下座で謝った。
十数兆円の補償金を日本は支払い・・

(桜井市長より「ここは質問の場です。質問をしてください!」と言われ・・)

安部首相に謝罪させるにはどうすればいいか?

(曽我さん)
大変難しい質問で回答も難しい。
私が安部首相にどうこう言うことは個人的に難しい。
とにかく1日も早く拉致被害者が帰国できることを願って活動を続けたい。

 

<蓮池薫さん、由紀子さん>

皆さんにお話ししたいのは、私の場合は家族全員帰ってきた。
曽我さんは、お母さんがまだ北朝鮮に残っているにも関わらず、つらい思いを推して貴重なお話をしてくださった。
そのことに敬意を表するとともに、「お母さん取り戻したい」との決意と覚悟をあらためて強く感じた。

曽我さんと私の拉致のケースは似ている。おそらく同じ部署による作戦だったと思う。
しかしそれぞれの結婚を機に担当部署分かれたと考えられる。

17名認定拉致被害者がいるが、うち4名は北朝鮮は未入国としている。
曽我さんは「お母さんは日本に帰した」と言われたが、私たち夫婦も結婚前はそれぞれ「相手は日本に帰した」と言われていた。

間違いなくミヨシさんは北挑戦にいらっしゃる。
ミヨシさんは当時46歳。
拉致の目的は色々で、日本教育に使いたいという意図もあった。我々も協力させられた。
46歳であれば、社会経験もあり、北朝鮮にとって(利用)価値がある。
必ずミヨシさんは北朝鮮にいるはずだ。
拉致認定者のおひとり田中さんも、未入国と言われたが、あとから存在を認めている。
今なお北朝鮮にいらっしゃると確信している。

もうひとつ申し上げたいのは、曽我さんが北朝鮮の「優しい人たち」についてお話ししたこと。
拉致を行ったのはごく一部の支配層であり、勝手な目的により、手段や方法を選ばない。

北朝鮮の一般の人々とはいずれは仲良くなってほしい。

北朝鮮の上層部には反省し、拉致被害者を返してもらいたい。
日本も過去の清算は必要で、2002年の平壌宣言で戦後補償を行うと約束しながら不履行のまま。
互いの懸案問題を解消することが必要。ヘイトスピーチとは関係ない。

拉致されてからの24年間、最初こそ帰してほしいと思いながら、次第に腹をくくって家族を守ってここで生きようと覚悟した。
私たちは幸いにも帰ることができたが、残された拉致被害者たちも、その様子を見ているはず。
残された被害者はどれだけ不安でつらい想いをしているだろうか?
限界を超える状態の中で17年間待たされている。
今後も拉致問題に関心を持っていただき、帰れない人たちの救出のためにご協力いただきたい。

 

<桜井市長より>

今日は曽我ひとみさんのお話しじっくりお聞きした。
世の中には色々な考えの方々がいて、ついうっかり「あなたの気持ちや考えはよくわかります」と言ってしまう。
けれど本当は人の心や考えを理解することは基本的にはできないのではないか。

私たちは今日、曽我さんの話を伺い、曽我さんのお母さん=ミヨシさんへの想いを想像するしかない。
蓮池薫さん、由紀子さんのお考え・想い、ずっと待っていらしたご両親の想いも想像するしかない。

だからこそ曽我さんのお母さんのこと、お弁当の話、セーターの話など、より多くの方々、特に若い人たちにお話しいただきたい。
そしてより多くの方々が曽我さんの想いを共有、想像できるようお願いしたい。

________________

終了後は会場外で署名活動が行われました。

私たちにできること(柏崎市より)

1、多くの方々と思いを共有する

拉致被害者の思い、帰国を待つご家族の思いを共有しましょう。
今日のお話で感じたことを、ご家族、ご友人にもお伝えいただき、多くの方とこの思いを共有しましょう。

 

2、安部首相にメール・はがきを送る

首相官邸のホームページ「ご意見・ご感想」からご意見を送ることができます。
はがきの場合
〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安部晋三 殿

 

3、ブルーリボン着用

ブルーリボンは「取り戻す」ためのシンボルです。
拉致被害者の救出を求める国民運動は、ブルーリボンと青色を運動のシンボルにしています。
青色は、被害者の祖国日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」を、また被害者とご家族を唯一結んでいる「青い空」をイメージしています。

ブルーリボンお問い合わせ先は、柏崎市人権啓発・男女共同参画室(0257-20-7605)

 

一日も早い解決に向けて、より多くの方々と共有すべく、ここに記した次第です。

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2019年9月 9日 (月)

児童虐待防止活動

9月9日、新潟駅前にて自民党新潟県連女性局として、児童虐待防止の啓発活動「ハッピーオレンジ運動」を行いました。

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痛ましい児童虐待の相談件数は毎年更新されています。

(全国では13万件以上、新潟県では平成30年度2793件)

虐待は以下のように区分されます。

●心理的虐待 ●身体虐待 ●ネグレクト(育児放棄)●性的虐待

直接、身体を傷付けるだけでなく、言葉や態度によって子供に心理的ダメージを負わせることも虐待です。

たとえば子供の前での夫婦喧嘩、威圧的・否定的な言葉がけ、きょうだい間差別、無視・・といったことも虐待にあたります。

国では児童相談所職員の増員、関係各所の連携強化、体罰罰則化など防止策をとっていますが、私達ひとりひとりができることもあるはずです。

そのひとつが「189」の存在と役割を知り、適切に活用することです。

189(いち早く)は児童相談所につながる短縮ダイヤルです。

街頭では189ダイヤルのステッカーを配布しました。

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坂田光子女性局長、高見美加副局長(新潟県議会議員)とご一緒に、街頭演説の機会をいただきましたので、以下のことを訴えました。

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「虐待事件が報じられるたびに、『虐待するくらいなら子供を産まなければ(持たなければ)よかったのに』との声を聞く。

でも最初から虐待しようと思って子供を産む(持つ)人はいないはず。

親である人達が、宝であるはずの我が子を傷付けるような状況に追い込まれていくことを、止めなければならない。

189ダイヤルは児童相談所につながり、虐待通報だけでなく、子育てにおける相談も取り扱う。

もしも子育てに行き詰まったり、周りに相談できる人、頼れる人がいない状況である親御さんがいたら、189に電話をかけてほしい。

もちろん他人の子供が虐待されているかもしれない、と感じたときも通報していただきたい。相談者、通報者の情報は秘密厳守される。

街頭活動では189ステッカーを配布している。小さなステッカーだが大きな意味を持つ。

どうか189ダイヤルのことを覚え、周りの方々に伝え、不幸な子ども・不幸な親をなくすことにつなげていただきたい」

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子ども達が健やかに、笑顔で育つ社会にしていきたいものです。

2019年7月22日 (月)

参議院選挙・開票立会人

参議院選挙開票立会人として、開票所に詰めていました。
立会人は選挙区3名、比例区7名で、私は比例区担当でした。
時系列は以下のようになりました。

20:20 集合・説明
21:15~開票作業開始
23:35 選挙区・有効投票数確定
2:36 比例区・有効投票数確定
3:50 解散
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なぜこれほど時間がかかるかといえば開票作業の厳格化、そして「死に票(無効票)を減らすため」
・・すなわち手書き文字を解読し、該当する候補者が誰か審議するためです。

無効票の条件としては
●候補者等でない者の氏名を記載した投票
●多事記載(指名の下に「へ」、「に」「さんえ」等の記載があるもの
●円、点線、線等の記載がある登場
●雑事、記号、符号のみ記載したもの
●白紙 など

有効票は
●誤字・脱字
●ふりがな付き
●〇〇先生、〇〇さんなど敬称類
●ローマ字、英語 など

という基準はあるものの、「通称認定を受けていない呼称であっても、その呼称が世間一般において当該名簿登載者を指すものと認められる場合は有効」など、さらに細かく規定されているため、判別に時間とパワーを要します。

参議院選挙の全国比例区は150人以上の候補者がいるため、他の選挙より時間がかかると考えられます。

それでも各々1200票以上の無効票は発生しています。
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開票作業にはおそらく100人を越える市の職員が関わっています。
時間経過とともに残っている職員は減っていきましたが、かなり過酷な業務だと思います。

そして立会人は開票された有効票の束に捺印し、最後には確定した投票数をまとめた書類の全ページに捺印、および投票用紙を梱包した箱に何ヵ所も割印します。

この時点で3時をまわり、睡魔と疲労でモーロ―としているため、すべての作業がスピードダウンして効率が悪かったと思います。

すべての作業が終わり、選挙管理委員長の終了宣言をもって解散となりました。
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選挙制度(投開票のやり方)を見直すこと、そして投票率を上げるだけでなく、「適切な投票(無効票にならないように)」も啓発する必要があると強く感じています。

関係者の皆様、大変お疲れ様でした。

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