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2024年1月 6日 (土)

あの日あの時、そしてこれから

1月5日、中央地区コミュニティ振興協議会の役員会があり、令和6年能登半島地震が発生した当日(1月1日)の状況をお聞きしました。

避難せずに自宅待機していた方もいれば、「柏崎市防災ガイドブック(自然災害編)」で示された避難場所・避難所に一時的に避難された方もいらっしゃいました。

(柏崎小学校、第二中学校、県営住宅5階、妙行寺、石井神社など)

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ガイドブックには掲載されていないものの、近所の広場や高台にいったん町内会や班の方々と集まった、というケースもありました。

(家庭裁判所の駐車場、ドナルドキーンセンター付近の坂道、栄町公会堂など)

それぞれの地域で日頃の防災訓練や申し合わせ等、「顔が見える関係性」が生きたのだと思います。

避難していない高齢の方々等のご自宅をまわり、安否確認をされたという町内会長さんや民生委員さんもいらっしゃいました。本当に頭が下がります。

また、「車で遠方に移動し、車中避難していた」という方も少なくなく、中には長岡市に避難しようとして渋滞に巻き込まれた・・といった方もいらっしゃいました。

実際の危険性よりも「ここにいては危ない」という心理によって、遠方に避難されたのかもしれません。ですが、車での移動は道路損壊や土砂崩れなどのリスクもあります。二次被害がなくて何よりでした。

これまで、災害時には「正常性バイアス(自分だけは大丈夫だと思い込む心理)」が働き、避難行動を取らないケースが問題視されてきましたが、今回の地震では、防災行政無線やテレビで緊迫感を持って避難を呼びかけ、多くの方々がそのように行動されたと思います。

ただ、避難する必要がない人達が車で移動することにより渋滞を引き起こし、本来すぐに避難しなければならない人達が危険なエリアから逃げ出せなくなる、ということもあり得ます。

常に危険性は認識しつつも、自分の行動が適切か、また他の人にどのような影響を及ぼすか、と考えることも大切だと思います。

ちなみに、優先開設避難所として指定され、津波の時も含めて避難場所になっている中央地区コミュニティセンターには、誰も避難しませんでした。

これは津波警報が発令され、防災行政無線やテレビで「海岸沿いの方は今すぐ避難してください!」とアナウンスされたことで、「海の近くにあるコミセンは危険」という心理が働いたのではないかと推察します。

実際には今回、柏崎市に出されたのは津波警報(予想される津波の最大波の高さが高いところで1mを超え、3m以下の場合)であり、中央地区コミュニティセンターの標高は6.40m・・避難場所・避難所としての機能は十分果たせたと思います。

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災害時に冷静になるのは難しいのが現実です。

だからこそ、早めに「あの日あの時」のことを振り返り、「これから」につなげていくことが大切であり、それができる環境にあることに感謝しています。

今も捜索活動が続く被災地の方々を思うと、本当に心が痛みますが、少しでも早く安全が確保され、今後の生活再建が果たせるよう願っております。

 

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