宮川典子先生へのメッセージ
10/31自民党女性局北信越ブロック会議に出席しました。
北信越ブロックは富山、石川、福井、長野、新潟から構成されています。
党本部からは三原じゅん子局長、堀内詔子局長代理、三谷英弘次長がご出席されました。
冒頭、先月永眠された宮川典子先生(自民党女性局長代理)に黙祷を捧げました。
会議の中で、今後の女性局が取り組むべき活動について、女性局長代理としてご活躍され、先月永眠された大好きな宮川典子先生を想いながら、「治療と仕事の両立支援」を要望させていただきました。
三原じゅん子局長からは、宮川先生の乳がん発症が、おそらく文科省政務官就任時と重なり、責任感・使命感の強さ故に、治療よりも仕事を優先させたのではないかと・・。
病気になっても治療しながらキャリアを積める、治療と仕事のどちらもあきらめなくてよい社会にするための法整備を進めたいと、三原局長は何度も声を詰まらせながら、お話しされました。
ところで今回の会議では、宮川先生へのメッセージを募集していたことから、以下のものを提出いたしました。
宮川典子先生、ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました。
初めてお会いしたのは、4年前の新潟県長岡市での児童虐待防止活動でした。
前段の講演では、子ども達を虐待から救うための短縮ダイヤル189番のことはもちろん、親が虐待にいたる背景にある孤立や貧困、自らも虐待されて育ったことによる「負の連鎖」もなくしていかなければならないと、涙ながらに訴えられ、続く街頭活動では、気さくに温かく接していただきました。
その時から宮川典子先生は、もっとも尊敬する大好きな女性政治家となりました。
その後も何度かお目にかかる機会を得て、平成29年春には私の地元・柏崎市にて行われた「女性の働き方茶話会(当時のふるさと対話集会)」に講師として来ていただき、「いつでも・どこでも・少しでも・何度でも、仕事ができるようにすることが真の働き方改革」だと、わかりやすく教えてくださいました。
またお帰りの時間ギリギリまで、出席者ひとりひとりの話に真剣に耳を傾け、「皆さんからのお声を必ず国政に反映させる」と約束していただきました。
ご一緒した方々が宮川典子先生の大ファンになったことは言うまでもありません。
その年に行われた衆議院議員選挙の自民党公約には<女性が働き方、生き方など自分の希望を実現し、個性と能力を十分に発揮できる「すべての女性が輝く社会」を実現する>との一文があり、約束を果たしていただいたことにあらためて感動した次第です。
私が初めての選挙に挑戦するときにも、温かい励ましのお言葉とともに、勇気とパワーをいただきました。宮川先生との出会いがなければ今の自分はいなかったと思います。
社会やご自身を取り巻く無数の「理不尽さ」と闘いながらも、いつも明るく、優しく、力強く、志は高く、腰は低く、私達と同じ目線を持って政治の場で働いてこられた宮川典子先生は、日本の良心であり、希望でした。
宮川先生が天国に旅立たれ、深い悲しみと喪失感は今も消え去ることはありませんが、
「いつでも、どこでも、誰でも、何度でも、チャンスにアクセスできる国・日本の構築」
という先生のお志を地方から形にしていけるよう、精一杯頑張ります。
最後になりますが、宮川典子先生、本当に、本当に、ありがとうございました。
あらためて心からご冥福をお祈り申し上げます。
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