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2019年9月

2019年9月29日 (日)

西部方面隊演習

柏崎市消防団西部方面隊の演習に第2分団員として参加しました。

消防団員はボランティアではなく「特別職地方公務員」としての責任があり、これまで極力、活動に参加してきました。

いま現在の身分も「特別職地方公務員」でありますが、優位性は現状(市議会)が上となるそうです。

たとえば災害時に議会と消防団両方で招集がかかった場合、議会を優先することになります。

今のところ、消防団活動と同日にいわゆる公務が入ることはあまり無いのですが、出られない時もあると想定して、「出られる時は極力参加する」スタンスを継続しています。

 

さて西部方面隊は第1~3分団が所属し、文字通り柏崎市の西側エリアを管轄しています。

今回は第3分団が担当で、笠島海岸の駐車場にて行われました。

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演習は服装点検、分列行進、走行訓練、放水訓練などでした。

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待ち時間に他の団員の方々や学生団員さん達と交流しながら、無事に演習を終えました。

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柏崎市は昨年の秋から、消防団活動に取り組んだ大学生、大学院生または専門学校生の就職活動を応援するため、「学生消防団活動認証制度」を開始しました。

これは消防団活動に取り組み、地域社会へ多大なる貢献をした大学生、大学院生または専門学校生を、柏崎市がその功績を認証することにより、就職活動を支援する制度です。

認証対象者は

●柏崎市内の大学、大学院、専門学校に在籍している
●柏崎市内の大学、大学院、専門学校を卒業して3年以内である

のどちらかに該当し、在学中に2年以上、柏崎市消防団員として継続的に活動を行った方となります。

ただし市長が特に必要と認めた場合はこの限りではありません。

また、他の市町村で消防団活動の実績がある場合はその活動期間を合算できます。

認証のながれとしては以下のようになります。

①申請(認証を希望する方は認証推薦依頼書をHPからダウンロードして消防団長に提出)

②審査(消防団長が対象者を審査し、顕著な実績があると認めた場合は市長に推薦)

③交付(市長が推薦内容を審査し、認証の可否を決定)

認証が決定した方には「柏崎市学生消防団活動認証状」(本人用)を交付します。

また就職活動時に企業へ提出するための「柏崎市消防団活動認証証明書」(企業提出用)を随時交付します。

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学生団員は現在50名を超えています。

お世話をする消防署・分団の方々の温かい配慮や、先に入った先輩団員の優しさが、団員増加につながっているようです。

これまでは学校(大学)所在地の分団に所属していましたが、今後は「学生消防隊」として独立する方向だそうです。

彼・彼女たちが卒業後も各地域で活躍できるような柏崎市にしていきたいものです。

2019年9月28日 (土)

9月定例会議閉会

9月定例会議が閉会しました。
議案の多くが一般会計補正予算に関するもので、すべて可決しています。

http://www.city.kashiwazaki.lg.jp/gikaijimu/shigikai/gian/h31/gian.html#r109

特記事項として以下のことがありました。

●救急業務遂行中の事故による和解について

6月中に救急車が総合医療センター救急搬送口に停車中、シャッターが降りて救急車ハッチに接触、ともに破損した。
当時、嘔吐を繰り返し、体動激しい患者を搬送したため、搬送口付近まで救急車を近付けていた。
通常はハッチを閉めるが、この時は患者対応でハッチを開けたままにしていた。
シャッターがなぜ突然降りたかは不明だが、救急車がルール通りハッチを閉めていれば接触しなかったことから、自損自弁で和解した。
(柏崎市は救急車損害額97,100円、総合医療センターはシャッター損害額378,000円を自ら負担)

(議会)昨年も業務中の事故が発生し、1年かけて和解している。内部ルールの遵守、運転時に十分注意することなど、再発防止策を徹底していただきたい。

 

●「学費と教育条件の公私間格差是正にむけて、私立高等学校への私学助成の充実を求める意見書」

2020年度から私立高校の授業料が実質無償化されるが、私立では入学金、教材費、設備費など公立よりもお金がかかる。
現在は低所得世帯のみが対象となっている助成をさらに拡大して、私立高校に通う生徒すべてに対する助成、また私立高校の経営安定のための支援を行い、公私間の格差をなくすことを求める内容。

(議会)意見書採択を求める請願は文教厚生委員会で賛成多数となったものの、本会議で意見書は賛成少数で不採択となりました。

*近藤は請願、意見書ともに反対しました。理由は以下の通りです。

・来年度から私立高校の授業料実質無償化され、これまでよりも私立高校に通う世帯の経済的負担は軽減される
・子ども達の「家庭の経済状況」による教育格差をなくすための政策として、低所得世帯への支援策はすでに用意されている
・私立高校に通う生徒すべてに助成を行うことは、本来は助成を必要としない経済状況の世帯も対象となる一方で、公立高校に通う生徒との公平性を損なう

 

●柏崎刈羽原子力発電所にかかわる調査特別委員会を設置

目的:柏崎刈羽原子力発電所にかかわる事項について、調査・研究を行う。
(1)国・原子力規制庁・県・事業者の動向、検討内容、審査結果について(分科会1)
(2)柏崎刈羽原子力発電所の安全対策について(分科会2)
(3)実効性ある避難計画について(分科会2)
(4)原発と地域経済、今後の行財政とまちづくりについて(分科会3)
(5)放射線への正しい理解と対応について(分科会2)
(6)原子力発電所の廃止措置(廃炉)にかかわる諸課題について(分科会3)
(7)使用済み核燃料にかかわる諸課題について(分科会1)
(8)その他柏崎刈羽原子力発電所に付随する課題
(分科会1~3)

*近藤は分科会2所属となりました。

尚、閉会しても決算審査準備のため、議会にはほぼ毎日通っております。
是々非々でやっていきたいと思います。

 

2019年9月23日 (月)

不幸な猫をなくすために

柏崎ファミリーキャット発足記念セミナー
「今どきの猫の飼い方」ご案内です。

10月5日(土) 13:30~15:00
柏崎エネルギーホール 1階 展示室
資料代 500円

また猫問題の導入編をまとめてみました。

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<不幸な猫をなくすために>

柏崎市内いたるところで野良猫が目撃されますが、その末路をご存知でしょうか?
多くは交通事故や病気で、あるいは他の動物に襲われ、命を落とします。
また動物愛護センターに持ち込まれ、引き取り先が見つからず、殺処分される猫も後を絶ちません。

新潟県では毎年800頭を超える猫たちが、税金を使い殺処分されています。
大半は野良猫、そして多頭飼育崩壊(不妊せずに複数の猫を飼い、増えすぎて世話ができなくなる)によるものです。

猫は繁殖力が強く、避妊しないメス猫1匹が、1年後には約70匹に増えます。
飼い猫であっても外に出せば事故や病気・ケガのリスクが高く、野良猫ともども庭や畑の糞尿被害につながることも多々あります。

不幸な猫をなくし、人間と猫の良好な関係を築くには以下のことが必要です。

●飼い猫は必ず不妊手術を受けさせ、できるだけ室内で飼う。
●野良猫にむやみにエサをやらない。特に「置きエサ」はしない。
●いちどでも野良猫にエサをやったら、自分が飼い主になるつもりで責任をもつ。

柏崎ファミリーキャット(通称KFC)では

◇適切な猫の飼い方・接し方の啓発
◇保護した猫の譲渡活動
◇野良猫に不妊手術を施し地域でエサやり・トイレ管理を行う「地域猫」推進

などに取り組みます。ご賛同・ご入会いただける方はぜひご連絡ください。
(会費:2,000円/年 担当:末崎 090-7419-1443 )

2019年9月22日 (日)

2019たかだ竹あかり

高田コミュニティセンター、飯塚邸で開催された「2019たかだ竹あかり」を見に行きました。
地域の竹林整備による竹を活用し、高田コミュニティセンターと史跡・飯塚邸の2会場で約1万本の竹灯籠が飾られます。
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今回、初の試みとしてコミュニティセンター2階からも全景を楽しめるようになっていました。
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手作りの竹灯籠ひとつひとつが美しく、離れて見ると非常に幻想的でした。
地元の方々のご尽力が伝わる、素敵なイベントでした。

2019年9月21日 (土)

宮川神社

9月定例会議にて、文化財保護管理事業として、補正予算対象となる「宮川神社」を、週末に現地確認しました。
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こちらはシロダモはじめとする植物群が、国の指定文化財となっています。

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https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/…/kanko/spot/…/shaso.html

密集した矢竹が植生バランスに影響を与えることから、伐採によって勢いを抑えるとの文化庁の判断により、処理費用一部として市が補助を出すのだそうです。

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ちなみに本殿、拝殿及び弊殿も国の登録文化財となっています。
http://www.city.kashiwazaki.lg.jp/…/bunkazai/k…/seshiki.html

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国の文化財であっても原則として維持管理は所有者が行うのだそうで、宮川神社については氏子負担となるようです。

文教厚生委員会で「この事業は今後も継続するのか。また他の神社等(文化財)からも要望(維持管理について)が出た場合も同様に市が補助を出すのか」質問したところ、市の回答は

・矢竹伐採により勢いを抑えられると考えているので、継続するかは今後の様子を見て判断する。
・他については文化財としての要件(もともとの状態)を見て判断するが、今のところ要望は出ていない。

とのことでした。

ちなみに宮川神社は津波の時の避難場所にも指定されています。

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土砂災害のリスクはないのだろうか?と思い確認したところギリギリ外れていましたが、付近には心配な地域が・・
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重要な場所であるものの、少子高齢化が進む地域での維持管理は、年々過酷になっていくことが予想されます。
また今後、他の文化財で同様の問題が発生した場合、市はどこまで支援できるのか・・

ふるさとの宝をどう守るか、単純に答えは出せないものの、道筋をつけていかなければならない時期に来ていると感じています。

2019年9月19日 (木)

西山中学校「SOSの出し方教育」

9月19日、母校・西山中学校で行われた「SOSの出し方教育」を、所属する文教厚生常任委員会で見学させていただきました。

若年層の自殺・自傷予防の一環として、「SOS の発信の仕方 と受け止め方・つなぎ方」を生徒の皆さんから学んでもらうものです。

柏崎市では、本事業を通して、関係機関の連携強化による、若年層への自殺予防対策を推進しています。

<これまでの自殺予防対策>

平成 18(2006)年 :自殺対策基本法の施行

平成 22(2010)年 :市に自殺対策を所管する部署を設置

平成 27(2015)年~ 市内 2 大学で「こころのゲートキーパー養成研修」を開催

平成 29(2017)年~ 市内 2 高校で「こころのゲートキーパー養成研修」を開催

平成 30(2018)年 :市内 2 中学校で「SOS の出し方教育」を試行的に実施

令和元(2019)年:市内5中学校で「SOSの出し方教育」を実施(西山、第二、第三、第五、南中学校)

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授業は50分間、全校生徒を対象に、以下のことを目的として行われます。

●悩んだとき、困ったとき、「助け」を求めることができる

●仲間や周りの変化に気付いた時の対応方法について理解できる

市・教育委員会職員による寸劇やグループワークを通じて、

●悩むことは特別(ダメ)なことではない
●悩んだら自分ひとりで抱えない
●友達の異変(SOSサイン)を見逃さない

という生徒自らの「気付き」を引き出しました。

さらには保健師の講話から

●悩んだ時や困った時
●悩みを打ち明けられた時
●SOSサインに気付いた時
    ↓
「信頼できる大人」(家族、先生、相談員など)に相談する

ということも伝えていました。


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そして最後に、大人になっても悩みや困り事は尽きないけれど、適切に対処しながら生きていることも伝え、

●逃げていいんだよ!~辛すぎるときは、逃げることも大事~

●頼っていいんだよ!~サポートしてくれる人に相談しよう~

●話すしていいんだよ!~ひとりで抱えこまず、誰かに話そう~

とまとめていました。

生徒たちだけでなく、大人である私たちの心にも響く、素晴らしい授業でした。


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自殺は10代の死因トップですが、柏崎市ではこうした取り組みの積み重ねもあってか、ここ数年間、10代の自殺者は出ていないそうです。

けれど全国的には約2万人(昨年度)の自殺者があり、「命の教育」を受けずにきた方々、また届かなかった方々へのフォローも必要だと感じます。

ひとりの大人として、また今の立場において、できること・やるべきことに想いを馳せながら、懐かしい校舎を後にしました。

2019年9月14日 (土)

曽我ひとみさん講演会

本日9月14日、曽我ひとみさん講演会(柏崎市主催)に参加しました。

曽我さんは昭和53年(1978年)に母ミヨシさんとともに北朝鮮に拉致され、24年もの間、ご家族と離れ離れでの生活を余儀なくされました。
この間、チャールズ:ジェンキンス氏とご結婚され、2人のお子様に恵まれました。
2002年10月に日本に帰国を果たすことができ、2年後にはご主人と二人のお子様が日本へ帰国されたものの、母ミヨシさんとの再会はいまだ果たせていません。
現在ミヨシさんは87歳。他の11人の拉致被害者とともに、一刻も早い救出を願い、政府への要望や講演活動を行っていらっしゃいます。

以下はその内容です。

<柏崎市の拉致問題取り組み>

平成14年、小浜・佐渡・柏崎 拉致被害者関係市連絡会をつくり、政府に拉致問題全面解決のぞむ要望書を毎年提出している。
拉致を知らない若い世代も増え、拉致問題の風化が懸念される。
拉致被害者がいることが「遠い国の話」にならないよう、若年者への啓発として、蓮池薫さんに中学生への講話をお願いしている。
「知らない」ことが解決の障害にならないよう、また解決のために行動するきっかけになるよう、本日の講演会を企画した。

 

<櫻井市長より>

曽我さんは43年前に拉致され、何気ない日常、家族との生活ができない年月を過ごされた。
何気ない日常生活を送れることに喜び、ありがたさを感じていただきたい。
また曽我さんの想いを共有し、より多くの方々に伝えていただきたい。
尚、今回の講演会は、蓮池薫さん・由紀子さんご夫妻が佐渡に訪れた折、曽我さんとお話して、ぜひ柏崎へお越しいただきたいということで実現した。
蓮池さんのご両親も会場には見えられている。
親と子がお互いを思い合う気持ちを共有していただきたい。

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<曽我ひとみさん>

今年は私が帰国して17年目、拉致されてから43年目となる。
昭和に拉致され、平成に帰国できたことは、私にとっては幸運だった。
しかし昭和に起きた拉致事件が、3つの年号をまたがっても解決できないのはなぜ?

24年間、北朝鮮で過ごした私だからこそ言えることがある。

過酷な環境で、耐えることが限界に達している苦しさを想像していただきたい。
拉致された当時は20代前後の若者は、今は老齢期を迎え、孫やひ孫がいるかもしれない。

北挑戦で新たな家庭を築き、家族のかたちが確立されていれば、今さら日本に帰って自分の居場所はあるのだろか?と悩みを抱える人もいるかもしれない。それだけ流れた時間は長すぎた。

幸い私たち帰国した5人の子ども達は当時は学生で、さまざまな支援を受けて今は社会生活ができている。
だが、あまりにも長い時間が経っているにも関わらず、全員帰国できない。

北朝鮮の時間稼ぎによって、拉致被害者は日本に帰ることに不安を感じているかもしれない。
拉致被害者家族の高齢化、拉致問題の風化に、私自身も不安を抱いている。
だからこそ1日も早い解決を望む。

私が体験したこと、母のことを聞いていただきたい。
昭和63年8月12日、夜7時過ぎのこと。
当時の私は佐渡総合病院で准看護師として働き、週末は実家に帰って疲れを癒すのが常だった。
その日も実家に帰り、母はいつも通り仕事に行き、帰宅後は食事をつくって家族と過ごしていた。
翌日はお盆で、母はお供え物のお赤飯を準備していたが、足りないものに気付き、買い物に出ることにした。
二人で近所の雑貨屋へ行った。家から400~500mの距離の、同じ集落内の雑貨屋だった。
買い物をすませ、店を出てたわいもない話をしながら歩いていると、後ろから足音が聴こえた。
急ぐ風ではないものの、足音の間隔が徐々に狭まってきた。
振り向くと3人の男性の姿が見え、「何だろう?少し気味が悪いね」と母と話した。

家まであと100m足らずのところで、男性3人は足早に私と母の前に回り込み、突然口をふさがれ、手足を縛られ、南京袋を被せられて運ばれた。
少しすると川の音が聞こえた。現場では男性と女性が日本語で何かを話していた。
女性の日本語は少し変だと感じた。
そのまま小さな船に乗せられ、沖まで連れて行かれ、そのあと大きな船に乗せられた。
南京袋は外されたが暗い船室に押し込められた。
自分の身に起きたことに恐怖し、声を殺して泣くばかり。そのうち泣き疲れて眠っていたらしい。
ひとりの男性が食べ物を持ってきた。数時間経つとまた、同じ男が食べ物を持ってきた。
さらに数時間後、どこかに着いた。外の明かりが差し込み、まぶしくて一瞬目をつぶった。
徐々に明るさに慣れ、見渡すとさびれた港だった。
時計は8月13日、午後5時だった。

日本語を話す女性に「ここはどこか」と聞いたら「北朝鮮」・・当時は初めて聞く国名だった。
船を降りると大きな車が停まっていた。
工作員と思える男性が「これに乗って駅に行き、列車で平壌へ向かう」
「母はどこにいますか?」と聞くと「お母さんは日本で元気に暮らしている」
かなり威圧感があり、それ以上、母のことは聞けなかった。

途中で1泊し平壌に着いたのは、8月15日早朝だった。
招待所まで連れて行かれ、日本語を話すおばさんと生活した。
この女性はのちに国際指名手配されたキム・ヨンス。
拉致実行犯と一緒に暮らしていたのだから、今考えてもおかしな環境だった。

おばさん(キム・ヨンス)は日本語すべてを理解していないし、私も北朝鮮の言葉はわからないので、あまり細かい意思疎通ができなかった。
見るもの・聞くことすべて理解不能で、これからどうなるかという不安と孤独感で、気が狂いそうだった。

平壌に来て数日後、組織の幹部がきて「今日から別の招待所に移る」と言われた。

招待所には先にひとりの少女がいて、笑顔で迎えてくれた。それが横田めぐみさんだった。
めぐみさんは妹と同じくらいの年で、すぐに仲良くなった。
えくぼの可愛い少女で、あのときの笑顔は今も忘れられない。

めぐみさんは、私といるときはいつも笑顔だった。
一緒にいた8か月の生活は大変ではあったが、めぐみさんのおかげで嫌なことを考える時間がなくなった。

二人っきりの時、あるいは皆が寝静まったあと、小声で日本語で話をした。
家族のこと、友達のこと、学校のこと・・・
外に出るときは、二人でこっそり日本の歌を歌った。
指導員に見つかれば大目玉だが、二人とも日本が恋しかった。
毎日、どうしたら日本に帰れるだろう?と考えていた。
結局、帰国できるまで24年かかった。

皆さんは北朝鮮にどんなイメージを抱いていますか?
極悪非道な国?冷血な人種?

たしかに拉致を指導・実行した人達は犯罪者だと思う。
でもそれ以外は普通の人だった。
ただし特別地区に暮らしていた人達なので、一般の人達のことはわからない。
指導員と呼ばれる監視役は皆いい人だった。

北朝鮮の生活水準は低く、物資は常に不足していた。
一部の特権階級の犠牲になって、それ以外の人達はなんとか命をつなぐ状況。

娘たちのエピソードをご紹介したい。
彼女たちの運動会には誰も来ない。
なぜなら自分たち夫婦は隔離され、娘たちの学校に行くことができないからだ。
他の子たちは家族と一緒にお昼を食べる。
誰も家族が来ない娘たちがポツンとしていると、友達の家族が呼び寄せてくれて、食べ物もわけてくれた。
自分達だって決して裕福ではないのに、親御さんは「好きなだけ食べなさい」と、娘たちに食事をごちそうしてくれた。
組織と無関係な人達はごく普通の人達。このことも知っていただきたい。

話を戻すと、拉致されたあと結婚し、新婚当初は別地区にある一軒家の招待所にいた。
娘が生まれて1か月経つと、亡命した米兵達が住む特別区のアパートに移された。

蓮池さんご夫妻がいた招待所は私達がいたところと異なっている。
同じ拉致被害者であっても、アジア系の見た目が同じ人達と、外国人が暮らす地域は別になっていた。

2年後には次女が生まれ、アパートでは他にも子ども達がいる家族が住んでいた。
アパート専門の保育園(保育士ひとり配置)に2年間通い、言葉など教えられていた。

生活は苦しかったが ひとりでなくなったことが嬉しかった。

自己流の子育てだったが、アパートの先輩方のアドバイスのおかげで、子供達は大病せずにすくすく成長した。

いちばん親切にしてくれたのは、同じアパートのタイ人女性・アノーチャさんだった。
彼女も拉致された人で、すでにご主人が亡くなっていた。
娘たちが慕っていて、私にとっても姉、母のような人だった。

長女が小学校に上がる前に引っ越ししたので、分かれ分かれになったが、彼女も拉致被害者のひとりであり、救出を待っていると思う。

子育て中に残念だったことは 子どもの学校行事に参加できなかったこと。
隔離されていたから、学校に行くことが許されず、遠くから見ることもできなかった。
そんな状況でも子ども達は元気に育ってくれたことが嬉しかった。

つらかったのは冬。北朝鮮の冬は、痛いくらいの寒さで肌につきささるようだった。
柏崎も大雪に見舞われるだろうが、氷点下20~30℃になる北朝鮮の比ではない。
帰国してから今の生活が当たり前となった。北の生活はもう嫌。

北朝鮮は発電技術が未発達で、しばしば重油不足となり停電した。
お風呂に入れないため、体をお湯でしぼった布で拭くが、すぐに冷えてしまう。
夜は寒くて眠れず、家中の服を着込んで、家族がかたまって眠った。

スイッチひとつで冷暖房使い放題の日本は、北朝鮮の住民からみれば天国だ。
拉致された当時の日本と比べても、北朝鮮の文化レベルは低い。
それでも我が家には古い家電製品はあり、一般住民よりは恵まれていた。
ただし停電により家電はたびたび使えなくなった。

家電はいつ頃の製造かわからない古い製品で、維持費もかかった。
洗濯物は雨水をためて手洗いしていた。

おそらく今も北朝鮮国民の文化レベルは変わらない。
何年も続く経済制裁により、一般の人たちの生活困窮はピークに達していると思う。
食糧難もひどすぎて全国民を救えない。
北朝鮮に住んでいたからこそわかるが、彼らの生活は皆さんが想像する以上に過酷だ。
特権階級のために、いつも一般の人々が犠牲になっている。

北朝鮮では買い物は週1回許され、指導員に頼み車を迎えに寄こしてもらった。
どうしても足りないものがある時はこっそり買い物に行くしかないが、指導員に見つかると怒られる。

闇市での失敗談がある。
「中身がわからないものは買ってはならない」と思いつつ卵を買ったことがある。
ひとつ割ったらヒヨコになりかけ、もうひとつ割るとドロドロに腐っていた。
半分以上はダメだったが、それでも残った卵を使い誕生日のケーキを焼くことできた。
買い物ひとつとっても日本は幸せであることを、再確認していただきたい。

北朝鮮では最低限の生活費が毎月決まった日に配給される。

必要経費を振り分け、どうしても欲しいものは貯金して買うしかないが、突発的な家電故障などがあり、家計は厳しかった。

食料品はほぼ北朝鮮製、たまに中国製だった。日本製は安全だがすべて高く、とても手が出せなかった。

お金が足りないと闇市に行き、トウモロコシの粉をこねてうどん、パスタ代用品にした。
主食として白い米を目にすることがない。
一家に支給される米の量も決まっていたが、常に石や虫が混ざっている「灰色の米」だった。

インドネシアで家族と再会したとき、日本からお米を持って行き、炊いてもらった。
「お米って白いんだね」「変な匂いがしないんだね」「こんなおいしいご飯食べたのは初めて」と娘達は喜んでいた。

拉致されてから24年間、よく無事に生き延びたと自分をほめたい。
要因は大きな病気をしなかったことだと思う。

北朝鮮では医療技術が遅れ、さらに医療設備はおそまつな状態。
健康診断もないので、症状出てから病院に行っても間に合わないことが多い。
日本でいう診療所レベルの「病院」しかない。
診断を間違うので、命に関わる病気でも治療してもらえない。

同じアパートの人は病院で風邪と診断されたが、実は癌だった。
やはり拉致された人だった。
その人にだって夢があり、やりたいこともあったはず。なんて理不尽な人生だろう?

拉致された人たちの中には、命にかかわる病気で亡くなった人がいるかもしれない。
あまりにも時間が経ちすぎている。
もし重篤な病状でも、医療では助けられない。
病気で亡くなってしまっていた、という拉致被害者をひとりも出したくない。
1分でも1秒でも早く解決してほしい。

私個人の力では無理だが、母を含む被害者全員が帰れるよう、講演、署名など行ってきた。

母がどうなったかいまだ解明されていない。
北朝鮮は「未入国」としている。
母も今年は米寿で88歳、日本にいれば元気にしていただろうが、北朝鮮にいればどうなっているかわからない。

母の話は手記にも書いたが、いつも同じ姿が目に浮かぶ。
母は朝早くから夜遅くまで、身を粉にして働いていた。
朝の仕事を終えると私たちに朝食を食べさせ、自分も食べてから工場へ出勤。
帰宅すると夕食をつくり、片付けのあと、ザルをつくる内職をするのが母の毎日の生活パターンだった。

当時、私の家は貧しく、母が朝から晩まで働いても生活は楽でなかった。
母は愚痴をこぼさず、いつも明るくふるまい、子ども達が少々悪いことをしても怒らない。
自分よりも子供のことをいちばんに考える、優しい母だった。

私の遠足では、いろいろなおかずの入ったお弁当を持たせてくれた。
でも母の弁当はごはんと塩辛い漬物だけ。

「どうして母ちゃんは漬物だけなの?」と聞くと、「漬物が塩辛いから腹いっぱいご飯が食べられるんだ」
・・今なら母の気持ちがわかる。

友達の着ていた新しいセーターがうらやましくて、家のタンスからお金持ち出しセーターを買ってしまった。
家族といえど許されない行為のはずだが、気付いても母は怒らなかった。

「母ちゃんが買ってやれなくて、かんにん(ごめん)な」・・頭ごなしに怒られるよりも心に突き刺さった。
本当に優しい母だった。

盆踊りの時、友達はみんな浴衣だった。うらやましい、仲間外れになりたくないという気持ちから

「私も浴衣で行きたい。祭りまでに浴衣を縫って」と駄々をこねた。

母は和裁ができたからだが、文句も言わず浴衣を夜なべで縫ってくれた。

いま思い出しても無理ばかりさせた。反省と感謝しかない。
あの頃の母はどんな気持ちだったのだろうか。
働きづくめで、おしゃれもできず、数えるくらいしか出かけなかった。

母の写真は両手の指で数えられるくらいしか残っていない。
母がいなくなった年齢である46歳を自分はとうに越した。
母のわがまま受け止めたい。愚痴をこぼして本当の気持ちを話してほしい。

帰ってきたら、やりたいことをさせたい。
おしゃれをして旅行へ出かけ、笑い声のたえない生活をしてほしい。

そんな未来を希望するが、母の年齢を考えるともうそんなに待てない。

帰国してから、国家間での難しいことはわからないが、ニュースは常に意識している。
北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返し、何がしたいかわからない。

政府も手をこまねいているわけではないと思うが、日朝協議首脳会談の道筋をつくり、粘り強く交渉続けてほしい。

毎年「今年こそ」と思いながら、ここまで来てしまった。
40年は長すぎる。これ以上時間はかけられない。

北朝鮮の一般的な生活状況は、さらに悪くなっている。
現地に暮らす日本人はこう思っていることだろう。
「いつ私を助けてくれますか?誰でもいい、私をふるさとへ帰してください」

世界でたったひとりの母も、現在どうなっているかわからない。
丈夫だけが取り得の人だから、日本にいれば今も元気に畑仕事をしていたに違いない。
しかし病気になればどうなるか?
足腰が弱り、自分のことできなくなっているのでは?

北朝鮮には日本のように介護施設もない。自分と家族と隣近所の人だけが頼り。
元気でいることを願うしかないが、残された時間が少ない。

時間との勝負は家族会の親世代も同じ。
皆さんはいつ倒れてもおかしくないのに、公の場に姿を見せ、満身創痍で活動を続けられている。
1日も早く、ひとりでも多くの日本人拉致人被害者取り戻したい。

署名1筆の積み重ねが、奪われた人たちを取り戻すことの助けとなる。
今日の話を一部でもいいから、知人・友人へ伝えていただきたい。

まだ解決しない拉致問題に奔走する家族と、過酷な環境で救出の日を待つ拉致被害者の
「お帰り」「ただいま」を一日も早く聞けるように。

___________

質疑応答

(市内教員)
拉致問題を知らない若い世代が増えている。
教員である私に何ができるかといえば、子ども達と学び、考えていくこと。
「北朝鮮の人々は普通の人達」
今日のお話を聞いて、拉致問題を伝えるとき、ヘイトスピーチになってはいけないとあらためて感じた。
では逆に何を伝えるべき?大切にすることは?

(曽我さん)
ある学校で小学4~5年生くらいの子ども達から質問された。
「拉致って何ですか?」
ひとことで言えば「人さらい」だが、子ども達に「拉致とは何か」というところから入っていくべきという想いになった。
北朝鮮の一般の人達は、拉致が起こっていることさえ知らない、普通の人達だと思う。

なぜ子ども達に拉致の話を言い続けているか?
今は日本と北朝鮮は仲良くないが、拉致問題やいろんなことが解決した暁には、子ども達もきっと仲良くなれるに違いない。

私自身は嘘はつきたくない。
皆さんは北挑戦に良いイメージ持っていないだろうが、そうではない、良い人もいるということを伝えたい。
拉致されたために自分の人生が狂ってしまい、仲の良い家族と長い間、離れ離れになることの苦しさ、痛みを教えてほしい。
だからまずは今ある家族を大切にしてほしい。

 

(市内会社員)
曽我さんのお話を伺い、「生きる姿勢」に感銘を受けた。
突然日常を奪われ、お母さんとも離れ離れになり、人生を狂わされてしまいながら、どんな心境で生きてこられた?
他の苦しい想いを抱えて生きている人達へのアドバイスとして、ひとことお願いしたい。

(曽我さん)
私のような者がアドバイスする立場にはないと思う。
拉致されて北朝鮮にいたころ、自分自身これからどうなっていくのだろう?もう日本には帰れないのだろうか?とずっと考えていた。
生きる勇気がなくなったことも正直何度もあった。
ある程度のことは時間が解決してくれる。

家族が出来てからは「どうせ日本に帰れないなら、ここで出来た家族をもっともっと大切にして愛していかなければならない」と考え方を切りかえた。
家族を守っていこうと考えたとき、自分自身が強くなった。
家族とどんなことがあっても一緒にいたい。
日本の父や妹に何もしてあげられない分、自分の家族にはできる限りのことをしていこうと思うようになった。

 

(市内某氏)

私は今後も拉致問題は解決できないと思っている。
その大元は日中戦争後の処理、戦後補償きちんとやらなかったからではないか。
日本は北朝鮮から70万~200万人拉致したのに、それを無視している。
西ドイツのブラント首相はナチスドイツの罪を土下座で謝った。
十数兆円の補償金を日本は支払い・・

(桜井市長より「ここは質問の場です。質問をしてください!」と言われ・・)

安部首相に謝罪させるにはどうすればいいか?

(曽我さん)
大変難しい質問で回答も難しい。
私が安部首相にどうこう言うことは個人的に難しい。
とにかく1日も早く拉致被害者が帰国できることを願って活動を続けたい。

 

<蓮池薫さん、由紀子さん>

皆さんにお話ししたいのは、私の場合は家族全員帰ってきた。
曽我さんは、お母さんがまだ北朝鮮に残っているにも関わらず、つらい思いを推して貴重なお話をしてくださった。
そのことに敬意を表するとともに、「お母さん取り戻したい」との決意と覚悟をあらためて強く感じた。

曽我さんと私の拉致のケースは似ている。おそらく同じ部署による作戦だったと思う。
しかしそれぞれの結婚を機に担当部署分かれたと考えられる。

17名認定拉致被害者がいるが、うち4名は北朝鮮は未入国としている。
曽我さんは「お母さんは日本に帰した」と言われたが、私たち夫婦も結婚前はそれぞれ「相手は日本に帰した」と言われていた。

間違いなくミヨシさんは北挑戦にいらっしゃる。
ミヨシさんは当時46歳。
拉致の目的は色々で、日本教育に使いたいという意図もあった。我々も協力させられた。
46歳であれば、社会経験もあり、北朝鮮にとって(利用)価値がある。
必ずミヨシさんは北朝鮮にいるはずだ。
拉致認定者のおひとり田中さんも、未入国と言われたが、あとから存在を認めている。
今なお北朝鮮にいらっしゃると確信している。

もうひとつ申し上げたいのは、曽我さんが北朝鮮の「優しい人たち」についてお話ししたこと。
拉致を行ったのはごく一部の支配層であり、勝手な目的により、手段や方法を選ばない。

北朝鮮の一般の人々とはいずれは仲良くなってほしい。

北朝鮮の上層部には反省し、拉致被害者を返してもらいたい。
日本も過去の清算は必要で、2002年の平壌宣言で戦後補償を行うと約束しながら不履行のまま。
互いの懸案問題を解消することが必要。ヘイトスピーチとは関係ない。

拉致されてからの24年間、最初こそ帰してほしいと思いながら、次第に腹をくくって家族を守ってここで生きようと覚悟した。
私たちは幸いにも帰ることができたが、残された拉致被害者たちも、その様子を見ているはず。
残された被害者はどれだけ不安でつらい想いをしているだろうか?
限界を超える状態の中で17年間待たされている。
今後も拉致問題に関心を持っていただき、帰れない人たちの救出のためにご協力いただきたい。

 

<桜井市長より>

今日は曽我ひとみさんのお話しじっくりお聞きした。
世の中には色々な考えの方々がいて、ついうっかり「あなたの気持ちや考えはよくわかります」と言ってしまう。
けれど本当は人の心や考えを理解することは基本的にはできないのではないか。

私たちは今日、曽我さんの話を伺い、曽我さんのお母さん=ミヨシさんへの想いを想像するしかない。
蓮池薫さん、由紀子さんのお考え・想い、ずっと待っていらしたご両親の想いも想像するしかない。

だからこそ曽我さんのお母さんのこと、お弁当の話、セーターの話など、より多くの方々、特に若い人たちにお話しいただきたい。
そしてより多くの方々が曽我さんの想いを共有、想像できるようお願いしたい。

________________

終了後は会場外で署名活動が行われました。

私たちにできること(柏崎市より)

1、多くの方々と思いを共有する

拉致被害者の思い、帰国を待つご家族の思いを共有しましょう。
今日のお話で感じたことを、ご家族、ご友人にもお伝えいただき、多くの方とこの思いを共有しましょう。

 

2、安部首相にメール・はがきを送る

首相官邸のホームページ「ご意見・ご感想」からご意見を送ることができます。
はがきの場合
〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安部晋三 殿

 

3、ブルーリボン着用

ブルーリボンは「取り戻す」ためのシンボルです。
拉致被害者の救出を求める国民運動は、ブルーリボンと青色を運動のシンボルにしています。
青色は、被害者の祖国日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」を、また被害者とご家族を唯一結んでいる「青い空」をイメージしています。

ブルーリボンお問い合わせ先は、柏崎市人権啓発・男女共同参画室(0257-20-7605)

 

一日も早い解決に向けて、より多くの方々と共有すべく、ここに記した次第です。

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2019年9月10日 (火)

9月定例会 一般質問

9月10日、一般質問を行いました。

(パソコンの場合、Internet Explorerを用いて「柏崎市議会映像配信」にて確認できます)

1、介護現場を支える人材・ツール活用策について

●アクティブシニア、外国人など多様な人材や、介護ロボット等技術革新を活用して、介護現場を支え、介護の質の維持・向上をはかる考えは?
(提案)
・アクティブシニア活躍策→介護の周辺業務切り分けによる「介護助手」の推進、介護支援ボランティア(サポーター)制度の導入
・外国人介護人材活用→市内在住の外国出身者の方々へのアプローチ
・介護ロボット等技術革新の活用→柏崎市が主導して勉強会開催など啓発を行ってはどうか

(市長)
・介護現場でのアクティブシニア活用は、すでに訪問サービスA(基準緩和型訪問サービス:身体介護ではなく生活援助中心)で行っているが、今後は介護施設での雇用も推進したい。介護支援ボランティア(サポーター)制度の導入は、ボランティアの性格上、慎重にならざるを得ない。
・外国人介護人材活用は1年半前に市内事業者に対して勧めたものの、受け入れの難しさを理由にどこも尻込みしている。しかしながら市内在住者へのアプローチも含め、推進していくべきと考える。
・介護分野での技術革新活用は、「人にしかできないこと」との切り分けを前提に推進すべき。


●中学、高校の新学習指導要領にて、高齢者への理解や介護の実践が強化されるが、柏崎の学校教育現場での取り組み・指導状況は?
また保護者への理解促進は?

(教育長)
・小中学校のキャリア教育の中で介護への理解促進を行っている。保護者については「お仕事体験塾」などの機会に、お子さんと一緒に介護の仕事について学ぶ機会を設けており、参加者からは一定の理解を得られたと考える。今後もさらに教育現場での理解促進に努めたい。

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2、柏崎版インバウンド戦略について

●水球をはじめとする国際スポーツ交流を呼び水とするインバウンドの推進状況と、ゆびさし会話帳・多言語パンフレットなど媒体の活用による市全体での訪日外国人客受け入れ態勢は?

(産業振興部長)
これまで行ってきたスポーツと中心とする国際交流の推進、また中国淮安(わいあん)市との中学生交流、台湾商工会との交流(柏崎花火に招待)などを通して、インバウンドを推進したい。またゆびさし会話帳、多言語パンフレットは空港や市内宿泊施設に置いている。今後さらなる活用をはかりたい。

●今ある産業の生産現場見学を通して、人材育成、働き方、経営努力などを観光資源とする「産業観光型インバウンド」を、柏崎市でも展開していく可能性は?

(市長)
柏崎市内6次産業とセットで研究する価値はあると考える。柏崎のインバウンドはまだ成熟していないものの、提案を参考に引き続き推進していきたい。
________________

事前にお話を聞かせていただいた関係者の皆様、また傍聴・ラジオやネット等でご確認いただいた皆様、ありがとうございました。

反省点、改善点は多々ありますが、めげずにチャレンジしていきたいと思います。

2019年9月 9日 (月)

児童虐待防止活動

9月9日、新潟駅前にて自民党新潟県連女性局として、児童虐待防止の啓発活動「ハッピーオレンジ運動」を行いました。

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痛ましい児童虐待の相談件数は毎年更新されています。

(全国では13万件以上、新潟県では平成30年度2793件)

虐待は以下のように区分されます。

●心理的虐待 ●身体虐待 ●ネグレクト(育児放棄)●性的虐待

直接、身体を傷付けるだけでなく、言葉や態度によって子供に心理的ダメージを負わせることも虐待です。

たとえば子供の前での夫婦喧嘩、威圧的・否定的な言葉がけ、きょうだい間差別、無視・・といったことも虐待にあたります。

国では児童相談所職員の増員、関係各所の連携強化、体罰罰則化など防止策をとっていますが、私達ひとりひとりができることもあるはずです。

そのひとつが「189」の存在と役割を知り、適切に活用することです。

189(いち早く)は児童相談所につながる短縮ダイヤルです。

街頭では189ダイヤルのステッカーを配布しました。

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坂田光子女性局長、高見美加副局長(新潟県議会議員)とご一緒に、街頭演説の機会をいただきましたので、以下のことを訴えました。

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「虐待事件が報じられるたびに、『虐待するくらいなら子供を産まなければ(持たなければ)よかったのに』との声を聞く。

でも最初から虐待しようと思って子供を産む(持つ)人はいないはず。

親である人達が、宝であるはずの我が子を傷付けるような状況に追い込まれていくことを、止めなければならない。

189ダイヤルは児童相談所につながり、虐待通報だけでなく、子育てにおける相談も取り扱う。

もしも子育てに行き詰まったり、周りに相談できる人、頼れる人がいない状況である親御さんがいたら、189に電話をかけてほしい。

もちろん他人の子供が虐待されているかもしれない、と感じたときも通報していただきたい。相談者、通報者の情報は秘密厳守される。

街頭活動では189ステッカーを配布している。小さなステッカーだが大きな意味を持つ。

どうか189ダイヤルのことを覚え、周りの方々に伝え、不幸な子ども・不幸な親をなくすことにつなげていただきたい」

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子ども達が健やかに、笑顔で育つ社会にしていきたいものです。

2019年9月 6日 (金)

新聞報道に関する議会への報告

【児童クラブにおける不適切発言について】

柏崎市には現在23の児童クラブ(昔でいう学童保育)があり、市が社会福祉協議会(以下、社協)に委託しています。
8月29日付の新潟日報において、クラブ支援員が児童に対して不適切な発言を行ったと報道されました。

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テレビのニュースでも取り上げられ、多くの方々の関心事であったことと思います。

昨日の市長の定例記者会見では謝罪があり、本日の「文教厚生常任協議会」にて、市からの説明がありました。

以下はその内容です。

尚、協議会は調査の場ではなく、あくまでも報告の場であり、質問は報告内容に関することのみとなります。

 

1、経緯 

8/21(水)支援員から児童に対し「来られなくしようか」と発言があったことについて、保護者から児童クラブへ申し入れがあった。

8/24(土)保護者から再度児童クラブ、その後に市の子育て支援課窓口に同様の申し入れがあった。

8/26(月)児童クラブ支援員から聴き取り実施。

8/27(火)保護者と市・社協で面談を行った。双方の情報を確認したが食い違いが見られた。

8/29(木)新潟日報に掲載

8/30(金)児童クラブ支援員から聴き取り実施。

8/31(土)保護者と市・社協で面談を行った。双方の情報を確認したが、食い違いが見られた。支援員からの聴き取り結果を保護者に説明(*1)し、謝罪をした。

(*1)
当該支援員の同僚が、前後の言葉はわからないが、「来られなくしようか」との発言を聞いたことは確認できた。
新聞報道にあるような「来ることが迷惑だ」「来なければ楽だ」といった発言については確認できなかった。

確認できた発言に対する謝罪と、児童および保護者につらい思いをさせてしまったことに対し謝罪し、今後の対策(支援員に対する指導研修等)について説明した。

保護者からの申し出と支援員からの聴き取り内容に食い違いがあり、保護者と話し合いの結果、再度支援員への確認を行うこととした。

9/1(日)児童クラブ支援員から聴き取り実施。

9/4(水)保護者と市・社協で面談を実施。支援員からの聞き取り結果を保護者に説明(*2)した。

(*2)
双方認識の食い違う部分について、再度支援員へ聴き取りを行った結果、食い違う部分について新しい情報は確認できなかった。
児童から安心して児童クラブを利用してもらうための対策をとらせていただきたい。あわせて支援員への指導、研修を実施することで、ご理解をいただきたいと説明。
保護者からは、対策をとることで了解していただいた。
「支援員への指導、研修は徹底してほしい。こちらも迷惑をかけるかもしれないが、よろしくお願いしたい」との言葉をいただいた。

 

2、質疑応答

●再度の聞き取りによっても「食い違い」は解消されなかった。言葉の一部を切り取られた可能性はないか?

→「言った、言わない」の部分で前後確認したが事実がわからない。(切り取られた可能性もある)

 

●市内23か所の児童クラブの支援員を確保することに難しさがあるのでは?支援員の質や人員配置など、問題発生にいたる状況、環境は?

→正直、人員確保は難しい。だからといって誰でもいいから採用しているわけではなく、適切な人を選んでいる。再発防止のための全体研修はかりたい。

 

●勤務形態など、労働環境に問題はなかったか?また児童クラブ現場の混乱は?

→聞き取り経緯は説明している。保護者とは「楽しく安全なクラブにしていきたい」ということで和解した。

 

●支援員は問題発言したとの自覚はあるか?当事者の反省がなければ今後の改善は見込めない。

→事実関係は不明瞭だが、同僚からその言葉を耳にしたと言われたものの、本人は自覚がない、はっきり覚えていない。

 

●保護者からの申し出なければ発覚はしなかったということではないか。改善を求めたい。

→児童クラブ23か所で大勢の子供さん達が利用している。安心して楽しく過ごせる場にしたい。

 

●児童の様子はどうか?

→当該支援員と児童との関係性は支援員の謝罪により修復されている。

 

●支援員を現場に送り出す教育・研修はどのように行っているのか。具体的な研修内容は?

→研修は計画的に行っている。支援員は1か所につき2~3人だが、新人だけということはなくベテランを配置する。
 研修は毎月というわけにはいかないが、全体研修が年に10回前後行われている。

 

●研修も社協に委託しているのか。

→社協に委託しているが、保健師など専門職が講師役をつとめることもあり、市も関わっている。

 

●本件の対策としての指導研修は一般的なものと異なり、不適切な対応に関する内容となるだろうが、その点について社協と共通認識を持っているか?

→社協とは聴き取りや謝罪などを一緒に行う中で、今後の対策について共通認識はできていると考える。

 

●児童への謝罪は当該支援員によって直接行われたのか?

→直接行い、関係修復されている。

 

●「支援員として適切な人」とは具体的にどのような人材か?

→支援員に必要な資格を保持し、かつ人柄にも配慮して選定している。

 

●市内23か所の児童クラブは各地域の要望、学校の要望など聞いた上で拡大整備したと考える。
 重要な子育て支援施策であり、再発防止をはかり、楽しく安心して過ごせる場所であり続けてほしい。

→そのように努めたい。

---------------------------------------

報道直後は児童クラブ名の特定を求める声もあったようですが、さまざまな背景・個人的事情、昨今の情報拡散力を考慮すれば、情報公開は必ずしも適切ではないように感じます。

当事者間の和解が成立したことが救いです。

再発防止を願いつつ、事実の列挙にとどめさせていただきました。

 

 

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